スーパーマン(2025)
- ラーチャえだまめ

- 7月18日
- 読了時間: 11分

【原題】Superman
【監督】ジェームズ・ガン
【出演】デヴィッド・コレンスウェット レイチェル・ブロズナハン ニコラス・ホルトほか
【あらすじ】
人々を守るヒーローのスーパーマンは、普段は大手メディアのデイリー・プラネット社で新聞記者クラーク・ケントとして働き、その正体を隠している。ピンチに颯爽と駆け付け、超人的な力で人々を救うスーパーマンの姿は、誰もが憧れを抱くものだった。しかし、時に国境をも越えて行われるヒーロー活動は、次第に問題視されるようになる。恋人でありスーパーマンの正体を知るロイス・レインからも、その活動の是非を問われたスーパーマンは、「人々を救う」という使命に対して心が揺らぎはじめる。(映画.COMより)
【感想(ネタバレなし)】

『オリジナリティ<思い出補正』
どーもどーもかつお節を掃除機で吸いながら使うと部屋中かつお節の香りに包まれる、これライフハックです。ラーチャえだまめです。早速ですが本日はコチラの映画を拝見させて頂きました
【スーパーマン】!!!もつ焼きより元祖中の元祖MCU「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のジェームズ・ガン“総支配人”による新生DCユニバース“実写版”第一弾。
初期作「スーパー!」から既にメインではない“アウトキャスト”なヒーローを泥臭く描き、そこに「スリザー」のSF要素と見事合わさった「ガーディアンズ〜」はガン監督にとって必然とも呼べるシリーズだったのかもしれない。そこから一度シンデレラ城から解雇されDCで「ザ・スースク」というスタローン隊長も絶句な“超使い捨てヒーロー”という究極のアウトキャスト集団を好き放題に調理して悪評=最大の高評価とも呼べるガン監督のドが過ぎるほどの「癖の集大成」、そこからまたお涙頂戴「ガーディアンズ3」で感動SF巨編に戻れるのも凄いが、個人的にこの人は許される限り妥協しない「好き勝手やる」タイプの監督のイメージが強い。そこへこのアメコミ界のプレジデントとも言えるスーパーマン。

果たしてガン監督がド真面目にアメコミヒーロー映画なんて撮るのか?そんな期待と不安をもって今回鑑賞させて頂きましたが……。
全米のトメぇイトぉ〜メ〜タ〜でもザック・スナイダー版“鋼の胸板”よりスコアは高いものの今回はシリーズの仕切り直しで予習は必要ないし、明るいテイストで誰が見ても満遍なく楽しめる高評価必須なスーパーマンかと思っていたのですが、日本でのレビューでも意外と賛否両論??…まぁちょっと私も思うところはあります。

“既存”の使いまわしなんだよなぁ
まずスナイダー版と比べること自体そもそも意味ないというか、だってやってること正反対ですからね。これまでの作品を全てなかったことにしてスーツから胸の“S”のマークの新解釈、テーマ曲から何からすべて“完全オリジナル”を目指したスナイダー版と“既存コンテンツを残しつつ”自身の要素を追加していったガン版、と言ったところでしょうか??いやーOPからマジでビックリしました。いや物語の展開ではなくて。予告だけちょっと遊べるからって懐かし要素で入れたとばかり思っていたクリストファー・リーヴの78年版「スーパーマン」のテーマ曲を本編でもガッツリ使っていることに。作曲はご存知巨匠ジョン・ウィリアムズ。78年版を見たことがないという方もこの有名なテーマ曲だけでも聞いたことがあるってパターンあるかもしれない。そんなクリプトン人だけではなく我々人間のDNAにジョン・ウィリアムズのスコアは元々刷り込まれてんじゃないかと思うくらいこのテーマがOPで流れてきて全くのスーパーマン初心者で「あーこれこれ。これだよスーパーマンって。」となるような!?しっくり来まくる。ヒーロー映画でテーマ曲は絶対。テーマ曲が良ければ内容が多少駄目でもマシになる。それくらい個人的にヒーローのテーマは重要だと思っているのですが、だから「そりゃこの名曲使ったら面白いだろうよ」と、もう開始数秒でもわかってしまうというか。と当時に「いやーでもそのやり方はセコいよ」とも思ってしまったというか。

いつの間にか当初「レガシー」のタイトルが消され超シンプルな「スーパーマン」に落ち着いた背景には、これまでの「スーパーマン」から一切の先入観をナシにして見てもらいたい、という表れかと思っていましたが、実際蓋を開けて見ればタイトルロールもまんま78年版と一緒だしガンさん「オリジナルで勝負していない」んですよね。このモヤモヤが最後まで拭いきれませんでした。逆にスナイダー版の株が個人的に上がりましたね。よくあのテーマ曲に逃げなかったよとね。
今回のスーパーマンは限りなくアメコミ原作に忠実。スーパーマンと同等の能力を持った“クリプト”という完全CG犬ながら本作をいつの間にか“「アニマル映画」に仕立て上げてしまうほどの強烈な存在感と愛くるしさ”で早くもキュン死続出中らしい、原作でも人気のキャラクターで今回念願の実写初登場を果たしましたし、他にもデイリー・プラネットの面々も原作に登場するキャラを多く登場させています。トレードマークの赤パンツにしてもはっきり言って2025年でもダサい。けど時代にそぐわないからと削除したりなんでもかんでも現代風にスマート化すればいいってものでもない。ここはより現実に重きを置いたスナイダー版とは真逆。しかも偉いのがちゃんとその赤パンツにしても「皆に親しまれる為にあえてダサくてもシンボルとなるように」という後付でも納得できる理由づけをしてまで原作のイメージを崩しまいとする姿勢には感心しました。ただ78年版の実写映画版にも同じことが言えるだろうか?本作が78年版の続編とかならまだわかるのです。「XMEN」シリーズのブライアン・シンガーが撮った2006年の「スーパーマンリターンズ」は78年版の続編でした。だから同じテーマ曲を使っているのはわかる。けど本作は78年版とは全くシリーズとも関係のない作品。そこで78年版を“思い出させる意味”ってなんですか?それって単純に78年版の“思い出補正でファンを泣かせたかった”だけなのでは??と一気に冷めてしまったんですね。

ファンサービスに尽きる。ちょっと庵野秀明監督とやり口が似ているというか「シン・ゴジラ」でもゴジラとは関係のない他の特撮映画の曲や自身のエヴァのヤシマ作戦の曲なんても勝手に入れちゃって、それらを知ってるファンからすると胸熱なのですが、ゴジラという作品とは全く関係ないじゃないですか?“ゴジラ”を見に来ているのに“エヴァ”を感じる必要性はないのです。それと同じで今回我々は“ジェームズ・ガンが新しく作った新しい「スーパーマン」”を見に劇場に足を運んでいるわけで、そこで78年版を感じさせる必要性があるのかと。でそれが先に言ったただのファンサ、盛り上げるためだけの要素でしかなかったんだとしたら、ちょっとこの作品自体安っぽく映ってしまうというか、せっかくDC体制を一新しての記念すべき“実写第1号”なわけですよね、この安さというか、へぇーなんでもやっちゃっていいんだー、というとても複雑な気分になってしまいました。
いやガン監督の“おなじみの要素”もたっぷり入ってはいますよ?78年版を下敷きに、そこに自身の愛犬家要素に軽いノリに小ボケにKAIJYUに360度グルグルアクションと“疑似家族愛”を付け加えた、そんな映画なんですよね。あくまで「78年版が基礎」というスタイルがハマるか否か。私はハマれなかった。何故ならもっとオリジナルで勝負してほしかったから。
本作鑑賞後、偶然見たLINEニュースで「スパイダーマン」のジョン・ワッツ監督が既存コンテンツに頼らず完全オリジナルな作品を撮るべきだと主張した記事が妙に目に留まってしまいなんとも言えない気分に……。

またアメコミ映画は120分超えばかりで長すぎる!と本釈120分台に納めることにもやたら執着していたらしいガン監督ですが、結果“本作に至っては”それが逆効果になっているような?全体的にギュッとまとめ過ぎて「総集編」みたいなストーリー展開になっているのも少し気になりました。そもそも物語のド中盤から始まり登場人物も多数登場すれば“見せ場”のみを繋ぎ合わせるような編集しか出来なった可能性もあるが、例えばスーパーマンと一般市民との関係。空から落下したスーパーマンをピザ屋の店主が助けるシーンがあるが、市民とスーパーマンとの信頼関係がわかる一方でもう一捻り意味のあるシーンにしてほしかった。例えばクラークがピザを咥えながらデイリー・プラネットに出社するシーンがあったとする。すると彼は毎朝出社前に通勤途中にあるピザ屋でピザを買うのが日課になっているのかと想像ができる。その日課、日常が脅かされた時、それを守るために戦うスーパーマンに手を差し伸べるのが、スーパーマンの日常を支えてきたピザ屋の店主だった、とすれば胸熱じゃないですか?そういうただスーパーマンに助けられる子供だって腰にスーパーマンのキーホルダーをチラ見せするくらいでもいいんです、なにかスーパーマンとのつながりを入れるだけですごくいいシーンになるのに、そのへんの工夫がなかった。ただ一般市民を救っただけで終わらせているのが勿体ないなーと。

あとはレックス・ルーサー。彼もなぜそこまでスーパーマンを嫌うのか。そこが劇中一度も明確に描いていないんですよね。スーパーマンに執着する理由がちょっと見えづらい。筋肉より頭脳が勝ることを証明したいから?そんな安っぽい理由ではないでしょう。で考えられるのは予告にもあったルーサーが言う「ヤツはスーパー“マン”ではない。ただの“物体”だ」のセリフです。スーパーマンはクリプトン星の異星人。生物学的に人間ではない。“人間ではないから”それがこの上なく気に入らなかったのではないかと。アメリカ人じゃないから、白人じゃないから、なくならないアメリカの人種差別問題そのまんま具現化したみたいなキャラクターじゃん、と思いっきり今の世相を反映させてるなーと。トランプ大統領が便乗してスーパーマンの顔を自身の顔に合成した画像をSNSに投稿するも「トランプが不法移民のスーパーマンを支持する」という皮肉が効き過ぎてて合成するのはレクス・ルーサーの間違いじゃない……そんな政治に絡めるのはこの辺にして、ぶっちゃけ「アメリカが生んだ、世界の全ての人々に手を差し伸べる純粋なるヒーロー」という結果的にド直球ヒーロー映画をガン監督は撮りました。ゆえに純粋な心で楽しむのが一番正解なのではないかと。

不評ばかり列挙しましたが勿論いいところも沢山ありました。先述したクリプトの可愛さ。ガン監督のイヌ愛がそこら辺のギャラクシーより広大で底沼なのがわかったし?ガン監督の保護犬だった愛犬をベースに制作されたフルCG犬でありながらモフモフ感や毛並みなどかなりリアルに再現していて、ホンモノのような可愛さにはホントにビックリしました。本作の7割はこのクリプトを愛でる映画だと思っても過言ではない、これほどまでイヌ映画だとは思ってもいませんでしたね!しかもめっちゃ言うこと聞かない。振り回されるスーパーマン=ガン監督の苦労がそのまま反映されているかのような……けどキュウ〜ンなんて声出されたら許す全力で許す可愛いから許す!可愛いは正義です!?

スーパーマンがデイリー・プラネットで働く理由がほぼロレインとのオフィスラブしたいからなんだけど、インドではあまりに“官能的すぎる”と削除されたスーパーマンと熱いキスをしながら空中に浮かんでいくシーンはサムライミ版「スパイダーマン」に次ぐ刺激的かつロマンチックなシーンで本作を象徴するシーンでしたし、なんでチョコプラの2人が日本語吹き替え版のゲスト声優に選ばれたのかわかった気がするメンバーの中で一番堅物っぽくて喋んないキャラだと予告動画からのイメージでしたが普通にオーシェぇ!!とか言っちゃう見かけによらずお笑い担当なTT星人こと“ミスター・テリフィック”がほかのメンバーと比べて明らかに見せ場多いしスーパーマンとも一番絡むしガン監督めっちゃお気にやないか。。。。
現実でいうどこぞの国を模した他国間同士の争いに首を突っ込む無国籍ヒーロー、なぜそこまでして争いを止めようとする?現実世界ではその裏で様々な思惑が錯綜する。でもスーパーマンは違う。純粋に「苦しむ人を救うため」。これほど説得力のある存在はスーパーマンしかいない。現実では受け入れられなくてもスーパーマンなら受け入れられる。何故なら彼は皆にとってのヒーローで揺るぎない希望の象徴であるから。でもそこで“神”のような存在にはせずスーパーパワーはあれど徹底して「人間の一人」というのをすごい強調している。そこにこれまで数々の愛すべきキャラクターを生み出してきたガン監督の一貫した“親しみやすさ”要素が生かされ、本作はその集大成のような映画です。




コメント