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ポゼッサー(2022)


【原題】Possessor

【監督】ブランドン・クローネンバーグ

【出演】アンドレア・ライズボロー クリストファー・アボット ロッシフ・サザーランドほか

【あらすじ】

殺人を請け負う企業に勤めるタシャは、特殊なデバイスを用いてターゲットとなる者の近しい人間の意識に入り込み、ホストとなるその人物の人格の所有者(ポゼッサー)となって殺人を遂行する。無事にターゲットを仕留めた後は、ホストを自殺に追い込み、意識から離脱する。請け負う殺人はすべて速やかに完遂してきたタシャだったが、ある男の意識を乗っ取ったことをきっかけに、タシャのなかの何かが狂い始める。(映画.COMより)



 
【感想】

『と言うよりまず観ないことが一番の幸福である。』

 




どーもどーも小3の時に父親から「ザ・フライ」のVHSを見せられたのが全てのはじまりですラーチャえだまめです。早速ですが本日はコチラの映画を拝見させて頂きました



【ポゼッサー】!!!……“所有するもの”の直訳が意味するもの、、、、いやー今年度最注目作品の一つ、ついに先週から日本でもお披露目されることになりました。皆さん見てくださいよこの


















こんな保湿パックは嫌だ。






気色悪いですね〜。ポスターから既に麺の量は「普通」とコールするのは許されない二郎系ラーメン店並の「初見お断り」感アリストテレスな?しかし我々のようなこの顔面がプリントされた公式グッズTシャツを買って一瞬Kissの舌だしプリントTの容量で街中歩いて「え、何そのセンスの塊みたいなシャツ」と実はお洒落なんだぜアピールしようか迷ったそこのキモオタ系映画マニアにはこれ以上ない??期待と興奮入り混じるしかも「全世界が言葉を失った…」なんて宣伝されちゃあ見に行かないわけがな……え、家事のあとしまつは終わったかって?



生まれ変わってもハエだけは勘弁したい「ザ・フライ」が近々禁断のリメイクされるってホント?「裸のランチ」「ヴィデオドローム」「スキャナーズ」「ザブルード怒りのメタファー」……ジョン・カーペンターと並び高校時代根暗だった私を更に根暗にする程どハマりした80年代ホラーを牽引した“変態の巨匠”デヴィッド・クローネンバーグ。そのクローネンバーグの息子ブランドン・クローネンバーグ監督だってぇ?いやいや存じておりますよ「アンチヴァイラル」が10年くらい前ですか、当然気になっていたわけなんですがその時R・スコットの息子が撮ったSF映画(タイトルすら忘れた)が完成に親の七光ならぬ七転び映画だったのが怖くて見なかったんですよね。ハエの子はハエる……あいや「THE2世映画」にあまりいい印象もないし……(ソフィア・コッポラを除く)でその前作「アンチヴァイラル」が世間的にはパッとしない口がハモニカ横丁的な出来だったのは定かではありませんが、今回そんな監督のネーミングマリューよりも遥かに興味を引き立てられたのは、紛れもない“アンドレア・ライズボローの存在”があったからで。



トム・クルーズがKHのロクサス的展開を迎える「オブリビオン」で初めて拝見した後「マンデイ」「ナンシー」……一体全体どうしちゃったのよと「サスペリア」の爺さん化したティルダ・スウィントンの如くの変わり様に衝撃を覚えたと同時に、その狂気じみた怪演にすっかり彼女の虜となってしまった……。そんなランズボロー主演のまたしてもヤバそうな映画……惹きつけられない理由がない。早速鑑賞させて頂きました。



いやー結論から言わせて頂きます。独創的な世界観、独特な色彩、ポスターひとつにしても決して抜かりない「キショ美」へのこだわり…??確かに作品全体を包み込む「不快感」「エグみ」と言った不安要素のセンスはピカイチに良かった。が反面「他人のカラダをマインドコントロールする」という「面白そうなSF」を十二分に火を通して絶品料理に仕立て上げているか、と聞かれると若干「ちょっと半生」な部分もあったかな?そんな映画だったんですねー。





 




おいおいおいOPから脳天コンセント注入ってかぁー!!?アイポット(え、知らない…?)からラジオの電波をチューニングしているかのごとく“感情をチューニング”する一人の女性。ハワッ!?ここはドバイのホテルか!?使用人の一人として潜入した女性は見たこともない美術的天井のある部屋の階段を上がるとそこはどこかのパーティ会場。会場にあったカットナイフを徐に手に持つと、談笑しているふくよかな男めがけて一直線に___

















滅!滅!!滅!!!メツ!!!!MEーーーーッTU!!!!!





スルりとナイフが男の喉奥に入っていく感触。それから無我夢中で男の腹部にナイフを通す___その数数十回……忘れていたこれ18禁映画だったのかー。いやーこれぞ「暴力の極み」。映論?なにそれ美味しいのレベルの血糊べっとりヴァイオレンスからまず本作がそんじょショコラの「只者ではない」ことに気付かされる。出禁映画「アングスト」の本能的な暴力でありながら、そこにある種の“美”が混在する、なんとも気味の悪い美しさと言ったら……。



アンドレア・ライズボロー演じるタシャ・ヴォスはある組織から依頼された特殊な機械を使い他人の意識を乗っ取り肉体も意のままに操りターゲットを抹殺するプロの殺し屋。そーゆーのって首に爆弾リングはめられた終身刑の囚人とかがやらされるのかと思ったらあらヤダ家に帰れば普通に愛する夫と子どもが待っているじゃない。幸せな家庭を持って……否当然どんなに殺人を正当化しようと「人を殺めて平常心なわけがない」帰宅する前に「家族に会うVer」の自分を入念に“演じる”素振りを見せるタシャ。おおっとやっぱりどこかこの女、“危険”な臭いがプンプンするぞ…?



やっぱり“今度のランズボローも凄かった”瞳の奥が黒すぎ瞳すぎじゃね?言い方悪いけどなんかブキミーなんだよなこの人……「マンデイ」で妖怪みたいにケケケッ!!って笑うシーンとかマジで鳥肌もんだったよ……!!この女優さんには本当に“普通の役が似合わない”否、そんな役ほかの誰でも演じられる。がしかし彼女が演じられる“特異”なキャラクターは、そう簡単には代役が効かないのではないか?またタシャをサポートする組織のリーダー兼サポーター役のガーダーを「イグジステンズ」で既に世にも奇妙なクローネンバーグの世界に取り込まれた経験のあるジェニファー・ジェイソン・リー。昔は至極のロリ女優……それが今やこれまた怪しい役を見事に演じております。本作は「女性が主役」という所がまずポイントかもしれませんね。なぜなら父であるデイヴィッド・クローネンバーグの作品は実に“男性的”というか、出てくる摩訶不思議な物体が、どこか女性の持つエロティックな部分を連想させ、そしてその虜のなるのはきまって“男性”の主人公だったからです。しかしブランドン監督は、父の作品とあえて対照的にしたかったのか、昨今のポリコレをただ意識しただけとは考えにくい“女性目線のグロ”に挑戦しております。



そんな2人の女優と引けを取らないのが、ショーン・ビーン演じる巨大IT企業の社長の娘の恋人でタシャに肉体と精神を乗っ取られるコリン・テイトを演じたクリストファー・アボットの怪演。「ピアッシング」で既に村上ストの仲間入りを果たした「マーサ、あるいはマーシー・メイ」「ファースト・マン」など徐々に出演作を増やしている次回作に「モービウス」に続くスパイダーマンのヴィラン単独プロジェクト「クレイヴン・ザ・ハンター」でヴィランを演じるんだそうで?今後間違いなく注目を浴びるであろう俳優なんでありますが、このアボットの“タシャが憑依した時のぎこちない動き”がまぁいいんですよ。憑依前の姿はあまり描かれませんが恋人で社長の娘から「アナタ今日なんかおかしくない?」と朝っぱらから突っ込まれるくらいには見ているこっちもその“違和感”を感じることが出来るほど、実に素晴らしい演技をしているんですよね。だから先程“女性が主役”の映画と言いましたが、実際には私個人的意見として本作はランズボローとアボットの2人の演技バトルとでも言うのか
















絶対に“乗っ取りたい”女VS絶対に“乗っ取られたくない”男






ポ◯タテッ!!!いやーこれがいいんですよ。タシャは毎回ミッションコンプリートすると「インセプション」のディカプリオも絶句の“脱出する”と一言発して拳銃を口に咥えてバキューン……今回もタシャが完全に支配権を掴んでいたかに思われたが……?コリンの様子が…??むむむ、か、カラダがががが……思うように、言うことを聞かな……タシャとコリンの精神内での攻防戦。それを「一切のCGなし」で全てのカットを実写で撮ろういう……このこだわり。特にタシャとコリンが“一体化”するシーンとかお前も蝋人形にしてやろうかの如く作成したのでしょうか?一体どうやって撮影したのかメイキングを是非とも拝んでみたい、いやー“特撮”にもブランドン監督の並々ならぬこだわりが垣間見れる。否、それもまた特撮全盛期で活躍した父親の影響か?



2世監督のすべての作品を観たわけじゃあないけど、大体どちらかに分けられません?監督である親と“似たような作風”にするか、それとも“全く違う作風”にするか。前者は無論、親の影響を誰よりも色濃く受けたからで、例えば先に言ったRスコットの息子(名前なんだっけ)とか「ゲド戦記」の宮崎吾朗とかそうじゃない?観客が“親のような作品”を望んているからこそ、それを運命づけられているというか、無謀にも挑戦したがるものなのか。反対に後者はソフィア・コッポラかな。あえて親と作風を似せないように意識しているというか、2世監督のレッテル剥がしからはじまり、いつの間にか親の名前を呼ばれなくなるまでに成功を収めているのって、どちらかというと後者のようにも思えるのですが。。。。



しかしこのブランドン監督はそのどちらでもないような気がしました。あえて父親であるデヴィッド・クローネンバーグの作風の“ようにわざと見せて”実はとっても対照的な作品を撮っている。出てくる物体のデザイン一つにおいても気色悪いセンスとかやたら特撮にこだわるのは完全に父親を意識しているけれど、今作の“主役”が女性という父親とは真逆の目線に立っているとか、それもまた父親の作品を明らかに意識しているからこそ外しに来ている、そんな風に思えました。



ラストの展開は評価が分かれる所だと思います。私としては“18禁”という部分を考えれば“予定調和”というか、もう少し(いやあれ以上かよ)衝撃的にしても良かったかなー。まぁ絶望しか最後は残りませんけどねハハハハハハ!!!あとは単純にちょっと分かりづらい。結局よくわからないまま終わってしまった、という人も多いのではないでしょうか。それはつまりブランドン監督の技量不足からか、私もラストの“とあるセリフ”にはじめ全然気が付かなくて、全く意味がわからなかったので思わずパンフレットを買ってしまいました。そこでブランドン監督のインタビュー記事が載っていたのですが、ブランドン監督が脳内チップの生みの親ホセ・デルガードの実験(劇中実際の映像が流れる)を例にあげ、人間は自分の意思ではない外部から「操られて」行った動作においても、後から「それは自らの意思で思い立ち自らの意思で行動した」と錯覚、認識する研究結果にインスパイアされたと語っております。今作のコリンがまさにそうで、タシャの取った行動に何かしらの理由をつけて“自分自身が意図して取った行動”であると錯覚していく。そして「自分は一体何者か」徐々に混乱していくコリン……否、それはタシャも同様のことが言える。「自我」と言っても、それは外的要因から構築されるものであって、それはつまり腹から産まれた瞬間の根の部分にある「本当の自分」だとはっきりと証明できないのではないか?つまり人は皆「自分というマスク」を被っている。劇中タシャのマスクを被った「どちらか」が、タシャ自身を表しているのと同様に……。




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