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ロングウォーク(2026)

11 分前
読了時間: 6分

【原題】The Long Walk

【監督】フランシス・ローレンス

【出演】クーパー・ホフマン デヴィッド・ジョンソン マーク・ハミルほか

【あらすじ】

戦争により国家が分断された近未来のアメリカでは、困窮する社会への光として「ロングウォーク」という競技が国をあげて開催されていた。ひたすら歩き続けるだけで破格の賞金と願いを1つかなえる権利を獲得できるこの競技に、選ばれた50人の若者たちが挑戦する。参加者に課されるのは「時速4.8キロをキープすること」「速度が下回ると警告開始」「3つの警告で即死」「最後の1人になるまで歩き続けること」という4つのルール。若者たちは装甲車に囲まれ、銃を向けられながら、休息も睡眠も許されない極限状態のなかで必死に歩き続けるが……。(映画.COMより)


【感想(ネタバレなし)】

『スケッチャーズ履いたら?』





先日神保町の本屋で偶然見つけた1冊が飽き性で最後まで完走した試しがないえだにもめちゃくちゃ読みやすくて面白くてドハマり中のラーチャえだまめです。作者は星新一って言うんですけど…と言うわけで本日は日本、ではなく全世界で愛され史上最多「映像化」記録保持者のスティーヴン・キング「幻」の!?長編デビュー作



【ロングウォーク】!!今年6月に劇場公開されたサバイバルホラーがアマプラに入ったので鑑賞。原作はキングがペンネーム“リチャード・バックマン”名義で79年に発表した小説「死のロングウォーク」。執筆したのは74年に発表した「キャリー」より前にあたり事実上のキングの“処女作”で「デスゲームの元祖」とも呼ばれる、キング原作で“初”か2つもついていれば当然「映像化」待ったなしの作品であるのは言うまでもない。しかしこれまで何度も映像化の企画が挙がるも「最後のひとりになるまでただひたすら歩き続ける」という内容が最大のネックとなり「画が限りなく地味」との理由から映像化されなかった企画泣かせの1品だったよう。それを「ハンガー・ゲーム」シリーズを牽引したデスゲーム大好き人間フランシス・ローレンス監督の手によりついに映像化されたという



スタートの合図と共に参加者50人が一斉に歩き出す。皆はじめは和気あいあいと他のメンバーたちと雑談したりじゃれ合ったり緊張感もないのどこな田舎道をさながら「スタンド・バイ・ミー」のように「遠足」に参加した若者たちの青春の1ページを見ているかのようなエモさもある。しかしこの中で生き残るのはたったひとりのみ。残りの49人の寿命がスタートと同時にジリジリと削られていくのか……という残酷さよ。そして最初の「脱落者」が現れた瞬間、この遠足が「正気の沙汰ではない」ものだとハッと気付かされる。



「ただ歩き続ける」だけ。しかし道中様々な危険が潜む。それはちょっとした「ふとしたことがきっかけ」で起きることも。誰の身にも起こりうる肉離れをはじめ、脚を挫く者、腹を下す者、道端でチャックを下ろして半ケツで泣きながら腹を下した結果射殺される脱落者のなんと酷たらしい最期。10年以上ひいたことのない風邪でさえこんな時に限ってひいてしまっては徐々に衰弱させる恐ろしさ。いつ「道」を踏み外すかわからない恐怖。参加者たちもそれを感じ、ただそんなの考えはじめたらキリがないから、「この一瞬を歩くことだけ考えろ」と。とりあえず考えずにただ機械的に足を動かすことが勝利へのカギ。てかみんな硬そうなブーツを履いていて足痛くならいんか…?と思ったらスニーカーは歩きやすいけどマメができやすいのか!(原作に登場する「生き残るヒント」のひとつ)



舞台は「華氏451」並に思想の自由を奪われた半ディストピア化したアメリカ。近未来と言うより登場人物の衣装を見ても70年代後半(原作と同じ?)のIFアメリカ?のよう。そしてそもそも「ロングウォーク」の目的、国をあげて開催されるまでに至ったデスゲームが生まれた経緯も序盤でドスの効いたボイス採用でもあるハミル少佐の口から語られるが「経済復興のため」とかなりざっくりとした内容で正直説得力は弱い。ただそこでダラダラと説明せずキャラクター紹介だけ終わらせたあとは早々と「ロングウォーク」をスタートさせたのは正解だと感じました。本作は我々の集中力との闘いでもありますからね。



画的に地味になるのを想定して予算も控えめらしい。コースの周りも、ひたすら殺伐とした田舎の景色が広がるだけで面白さに欠け、ゲームを見届けようとする観客たちも登場するのはクライマックスのみ。誰もいない広大な田舎道を歩くシーンが大半を占める。しかしこの何もない景色が、より「地獄」を演出するのにむしろ最適解な舞台なんじゃないかと。ただ世界観的には正解でも映画的には、画的にはどうしても地味になるわけで。そこをキャストの会話、途切れたらすぐ間髪入れずにBGMやカットをかけ、観客が退屈しないように編集はかなり上手くいと感じました。



体格まで父フィリップ・シーモア・ホフマンに似てる主演のクーパー・アレクサンダー・ホフマンはじめ、「エイリアンロムルス」では姉ちゃんに付きっきりのナヨナヨキャラだったアンドロイド役のデヴィッド・ジョンソンが、今作では180度違う人一倍タフで参加者のまとめ役で主人公を勝利へ導く兄貴的頼りガイな姿はもう既にティ・チャラ王の息子の片鱗見えまくりな「ブラックパンサー3」の次期ブラックパンサー役が俄然楽しみになりました。歩き続けるうちに友情が生まれる2人。このまま2人だけでずっと歩き続けたい。互いに鼓舞し合いながら、時に他愛もない話に華を咲かせ、互いの胸の内を明かし合いながら……しかしどちらかが足を止めなければゲームは終わらない。地獄から解放されない。エンドロールの「友」に向けた曲がまた切ないなー。



良かったと感じたのは、そんな参加者の中には自分が勝ち残る為にワザと脱落させようとしたり、それこそ道端に画鋲とか落としてさ!?罠を仕掛けたりする悪者がいるんじゃないかなーと思ってたんです。確かにそれに近い悪者ポジのヤツはいるんですが、結果的に「参加者の中」には、そんな悪い奴は「ひとりもいない」のです。そこが良かったんです。肉体的疲労と精神的苦痛で人間って本性が出るじゃないですか。その中で悪い奴がひとりも出ないんです。物足りないと感じる方もいるかもしれません。しかし私は「人間って捨てたもんじゃないな」と。



徐々に仲間意識が生まれ、誰かが立ち止まってしゃがみ込めば自分をも危険に晒して「立ち止まって仲間を立たせようとする」者。自分の限界が来てもう歩けないと悟ると「お前たちと歩けて良かったぜ!」と最期の言葉をかけて潔く列から離れて自ら死を選ぶ者。もう誰が勝ったっていい。自分の勝ちに固執する者は徐々に居なくなっていく。



参加者は皆、夢を叶える為「自分」の為に歩き続けていたのに、それがだんだん「誰かの」の為へと変わってくる。自分ではない別の参加者へ「勝ちを譲る」みたいな「自己犠牲」の精神まで生まれてきて、いや尊過ぎんだろ!?最後まで歩き続けた「先」に待つもの。何のために歩き続けたのか。歩き続けた意味。お金じゃない。こんなクソゲー生み出したのも人間様だが、それでも「人間捨てたもんじゃない」という、そんな人間の冷酷な面と愛の面、両方を見せられもう感情がグシャグシャになってしまった、そんな1本でありました。

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