SHAME -シェイム-(2011)
- ラーチャえだまめ

- 2019年6月20日
- 読了時間: 8分

【原題】SHAME
【監督】スティーヴ・マックイーン
【出演】マイケル・ファスベンダー キャリー・マリガン ジェームズ・バッジ・デールほか
【あらすじ】
ニューヨークに暮らすビジネスマンのブランドン(マイケル・ファスベンダー)は、プライベートのすべてをセックスに費やしているほどのセックス中毒状態。そんなある日、ブランドンのアパートに妹のシシー(キャリー・マリガン)が転がりこんでくる。恋愛依存症でリストカット癖のあるシシーとの生活で、二人は激しくぶつかるようになり……。(Yahoo!映画より)
<感想>

『「あ、ちなみにカニは殻ありです」「うんわかったからはよ消えて?」』
えー数年前まで「逃げ恥」の事を「逃げれば恥だが役立たず」だと思っていましたラーチャえだまめでございます。今日ご紹介する映画は____?
いやー私大好きな映画でございますもうかれこれ3回くらいリピートしております「愛なら、毎晩ティッシュにくるんで捨てている。」とサラリーマン川柳もビックリなキャッチコピーで攻めまくる衝撃作【SHAME -シェイム-】。はいデマシタ俗に言う“鬱映画”でございますこれにあと「ミスト」と「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でもトッピングすれば軽く1ヶ月くらいは家に引きこもることが可能です「何?鬱映画?コレが?」と既に知っている方は少し疑問に思うかもしれません。そう、本作の扱う“テーマ”というのが、日本ではあまり馴染みがないものと言いますか、海外ではタイガー・ウッズやMIB“じゃない”方のデイヴィッド・ドゥカヴニーなどが有名でしょうか、“性依存症”をテーマに扱った“18禁”映画、なんですねー。ただ18禁といってもそこまで過激なシーンがあるわけではなくて、せめてOPでマイケル・ファスベンダーのマイケルがファスベンダーしちゃってるとか、そのまんまトイレで“ファスベンダー式立ちション”をボカシ放題で拝めるくらいで、女性の中には「ウホ♡」とウケがいいかもしれませんが。

ファスベンダー演じる主人公ブランドン。清潔感漂う高層マンションに住み一流企業で働く独身男性。顔よし金よし身なりよしの通称“吉幾三”状態の一見すると人生の“成功者”のように見える。しかし、彼にはかっぱえびせんよりも止められない止まらない“衝動”があった____。
朝の出勤前の電車で一人の女性に“色目”を使っては誘惑し、社内でもPCの検索履歴がエラい事に成る程閲覧をして見事PCウィルスに感染、ふと席を立ったかと思えばコーヒー入れに行くかトイレでキレイに便器をフキフキした後アソコをフキフキしかない!!自宅から帰ればハイデタデタ映画でよく出る箱に入ったチャイニーズの謎のデリバリーフード!!をオカズにPCを開きさらに“オカズ”を閲覧という何やねんコイツオカズだけ食べて白飯食わないヤツか!!またある時は自宅に“夜のデリバリー”を呼んでギッコンバッタン

そしてフル◯ンで歩く“健康的”な日々!!!!
初見で見た時はもうびっくら仰天ですよ。あのファスベンダーですよ?「X−MEN」のマグニートーがですよ?小学校時代の顔が全く想像出来ない昭和顔イケメン俳優がですよ?性依存症に苦しみ心にポカーンと満たされない穴が空いた状態の“空虚”な表情で、顔はイケメンなのに心は終始“悲痛の叫び”まくる男を見事に演じきっているのです。え、でもいいじゃないイケメン過ぎてお店行かなくてもそこいらのバーで出会った女性をカンタンに“引っかけて”あはんウフンやってるんでしょう!?…だが彼は“満たされない”何度女性と性行為をしようと、何度アダルトサイトを閲覧しようと、何度ビデオチャットをしようと

彼の“欲求”は“永遠に満たされない”
この悲しみよ。そして虚しさ。彼はそんな自分を“恥”だと自らを責め立てる。オレは恥ずべき人間だ。ダメ人間だ。どうしようもない。だが止められない。どうすることも出来ないのだ。永遠に満たされないものだとわかってはいても、彼は今日も右手で自らの物干し竿の鞘を抜く………て佐々木小次郎か
そこへなんとなくファッションモンスターっぽい格好のキャリー・マリガン演じる妹のシシーが突然自宅に転がり込んできた。そこから彼の日々がさらに“崩壊”していく__。
兄が性依存症ならば妹のシシーは“恋愛依存症”。いくらニューヨークニューヨーク〜♫歌おうが、自分が他人に“愛されている”と感じられなければ生きていけない女だったのです。俗に言う“メンヘラ”。この妹と兄の関係性がまた複雑というか、上手くいっていないのですよね。自由奔放で男に依存しすぎる妹を心配している素振りも見せますが、やたらベタベタとボディタッチが多く一歩間違えれば……ああああああああああああぁぁぁやかましいわぁぁぁ!!!!そんな妹を嫌い、自分の私生活をどんどん壊されていく苛立ち。。。。。いいかお前ら

トイレは男の“聖域”だあああああああああああああああああああああ!!!!!!
<感想(解説)>
そろそろ本題に戻りましょう。この映画のブランドンに我々視聴者が“共感”出来るか出来ないか、で大きく本作の評価が別れるでしょう。それは性依存症というものに理解力があるか、だけではないと思うのです。私は全ての“依存症”に本作が当てはまると思います。タバコ、酒、ギャンブル、、、、世の中には様々な“依存”を抱えた人々が生活しています。それを皆“ひた隠し”にして。私も映画やブログという趣味の延長で、もうかれこれ10年くらいブログをやっておりますが一種ブログに依存している、とも言えるでしょう。もう一度言います依存とは“誰もが持っている”、または今はまだ持っていないと豪語していても、いつか何かの拍子に何かに“依存する”可能性は100%存在する、ものです。つまりこの物語は決して“他人事”ではないのです。誰もが“可能性のある”、ということ、さらに言えば酒やタバコ、ギャンブルと言った費用のかかるものとは違い、性の問題はお金をかけなくても出来てしまう、つまりより日常生活の境界線上のほんの先にある、山手線でいう渋谷から原宿までの距離感くらいしかない(例え下手か笑)非常に我々の生活に“近しい”病だとこの映画を見て感じてしまったのです。
ブランドンがラストに“泣きながらSEXする”シーンが私ヒジョーに印象深くて、カラダは満たされているはずなのに、心は全く満たされない、彼のあの表情。痛々しすぎる。ファスベンダーの演技が本当にツルピカリしていると言っても過言ではありません。

そんな彼が社内で出会った一人の女性とデートするでしょう?あのシーンで彼がちょっとだけ“生気が戻った”ような顔を見せるんですよね。冗談かましたり、生き生きとした顔を見せる。でもその後彼は仕事中に彼女を突然連れ出し、高層マンションの一室で性行為に及ぶも意気消沈……。あれは本当に純粋に彼女の事を“好き”になりかけていたのに、ブランドンは女性に対して、愛はなく、機械的で、言い方悪いけれども一種の“性を満たすもの”として目に映るようになったのではないか、そして彼女も一瞬そう“映ってしまった”、だから彼は彼女を抱くことが出来なかった。彼女に対して失礼だ。情けない。酷いことをしてしまった、と(ただしその後「自分を守る」事を選択した)
彼にとって、女性とは、もはや“LOVE”ではない____そう考えてしまうと、さらに彼の救われない姿に心が締め付けられてしまうというか、まぁそのスタンスじゃ結婚は無理だわな

「私たちは悪い人間じゃない。悪い場所にいただけ。」
妹のシシーのこのセリフ。いやーすんごい響く。依存しては罪悪感にかられ、そしてまた依存して。。。。。でも私たちは悪くない。劇中何も語られませんが、この裏には親のネグレクトや暴力と言った何か___トラウマのようなものがあったんじゃないかな。だからそれを“恥”だとする、今ここに住む世界が悪いだけ。このシシーも自分と同じく苦しむ兄をなんとか“支えあげたい”という想いはあった。そしてそんな兄にも“支えて欲しかった”。しかし病んだ者同士、互いを救う合う事など出来るのか。病人には病人は看病出来ない。でも「痛み」だけは共有している。兄妹の繋がりがその「痛み」だけ、というのがまたなんとも……
本作はイギリス映画でありながらNYを舞台にしていて、そのNYの夜景が綺麗だなーなんてはじめは思えたのに、町並みの冷たさといい、寂しさといい、まるでブランドンの顔面そのもののようにも見えてくるんですよね。監督は「それでも夜は明ける」などの監督作のほかに“アーティスト”の顔も持つスティーヴ・マックイーン。世界各国の有名な国際美術展覧会にも出展経歴のあるバリバリの芸術家でございます。演出的にも固定カメラのシーンを多様したりラストのSEXシーンの見せ方とかなかなかおもしろいですね。

この物語ではブランドンは最後まで救われません。ラストにOPにも出てきた女性を再び追い求めてしまうのか、それとも………彼が最後まで「変わる」ような素振りを“見せなかった”ということは、結局またOPに繋がりエンドレスに繰り返すように見えました。彼が救われる方法は?それは自らの「恥」を「恥だと思わない」ほかないのではないでしょうか?SEX好きでもいいじゃないかヘンタイで何がいけないの?他人を傷つけなければ、自分のありのままの姿を受け入れてみたら?肯定的に捉える事で、「生きやすい」人生を作るとか。「罪悪感」をまずは取り除くことが、ブランドンが救われる近道なんじゃないかな。カウンセラーではないので偉そうな事は言えないけど、本作は依存症に苦しんでいる人を知る一つの手段、18禁なのでオヌヌメしにくい所はありますが、見てみる価値はあると思いますね。




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