500ページの夢の束(2018)
- ラーチャえだまめ

- 2020年5月18日
- 読了時間: 6分

【原題】Please Stand By
【監督】ベン・リューイン
【出演】ダコタ・ファニング トニ・コレット アリス・イヴほか
【あらすじ】
『スター・トレック』について並外れた知識を持つ自閉症のウェンディ(ダコタ・ファニング)は、自分なりの『スター・トレック』の脚本を書くことが趣味だった。ある日、『スター・トレック』脚本コンテストの開催を知り脚本を書き上げるが、郵送だと締め切りを過ぎてしまうことに気付く。彼女は500ページの脚本を届けるため、愛犬と一緒にハリウッドを目指す旅に出る。(Yahoo!映画より)
【感想(ネタバレなし)】

『手芸がしゅげぇ』
なんかすいませんラーチャえだまめです。本日はコチラの映画を観させて頂きました【500ページの夢の束】。いやーなんとなく“HOLLYWOOD”の文字がバックに見えたので拝見しただけだったのですが……家族と離れ障害者施設で暮らす自閉症の少女ウエンディ。彼女は“スタトレ”の大ファンで自作で“脚本”を作り上げてしまうほどの驚異的な才能があった。しかしそれは彼女の単なる趣味の範囲ではなかった、そこには彼女の“ある野望”があった……それは

パラマウントピクチャーズの“脚本コンテスト”で優勝する
行きましたよー私も(まぁバスで素通りしただけですが…)そうパラマウントと言えば「インディ・ジョーンズ」「ゴットファーザー」をはじめ、近年でも「トランスフォーマー」「ミッションインポッシブル」シリーズなどを手掛ける超大手映画スタジオでございます。そしてご存知の通り“スタトレ”を制作しているのもパラマウントなんですねー。

違う違う、そうじゃない
ま、私も“そこまで”詳しい人間ではないんですけどね?「スタートレック」と言えばアメリカのお茶の間を何世代にも渡り魅了してきた(そして幾度となく“遥か彼方の銀河系”と間違われてきた)サザエさんと並ぶ“ご長寿番組”としてこれまで映画化にJJエイブラムスによる“リヴート”もされた(その後浮気しましたが)未だ根強い人気を誇るSF海外ドラマの決定版。その新作の脚本を一般公募で募集しようという、ファンにとっては眉唾もののコンテストにどうしても参加したいウエンディ。しかし郵便の配達期限はもう過ぎてしまった!!さあどうする!?施設のスタッフは言ってもどうせ半信半疑だし?実の姉は引っ越し作業でそれどころではないし??飼ってるチワワは愛嬌を振りまくだけで何も出来ないし???そこでウエンディは思いついてしまった

「そーだ“直接届けちゃえば”いいんだ。」
かくしてウインディの“新たなる旅立ち”がはじまってしまうんですねー。目指すはロサンゼルス・ハリウッドにあるパラマウント本社______。
いやいやなかなか面白い作品に出会ってしまいました、主人公ウエンディを演じるのはアイアムグルートならぬ「アイ・アム・サム」で超絶“天才子役”っぷりを見せたハリウッドの安達祐実ことダコタ・ファニングその人であります。最近では妹のエル・ファニングの方がスクリーンで多く見かけるような気がしないでもないのですがいやいやダコタさんだって負けちゃあいないえ、もう26歳なんですか?トムクルーズパパを何かと酷使させまくった「宇宙戦争」のあの目の中に入れても痛くないと目玉の親父に豪語させるレベルのあんな、ちいーっちゃい子が………??

自閉症を持つ少女という難しい役どころを演じるダコタさん、普段人と目を合わせて会話が出来ない、肌を触れることを嫌うなどのコミュニケーションがうまくとれないといったものから、感情的になると発作のように自分でもコントロール出来なくなる、何度も反復的な行動をとるなど……一つに自閉症と言っても人によって“程度”が違うものは知っておりましたが本作のウエンディは特に重いタイプのよう。それでもケアマネで最近おっかない顔、、、役ばかりですが今作ではフツーに優しいおばさんなのがちょっと嬉しいトニ・コレット演じるスコッティは彼女の事を特に気にかけておりますし、それを言ったら「ホームカミング」でトムホに謎のライバル心を抱くトニー・レヴォロリ演じるウエンディが働くシナボン店のアルバイトだって“俺的ミックスリスト”なるわりとどーでもいい自作CDを送りつけてくるただの好青年だったり
実の姉のアリス・イヴ演じるオードリーも母親の死後ずっと妹を世話してきましたが結婚して子どもが出来てそっちの世話もしなくちゃならなくなったんで“やむを得ず”妹を施設に送らざるを得なかった……私個人的にも家族の“負担”を考えると、それはちょっと仕方がないのかな、そんな気が致しますね。ただそのことをどこかで“後悔”するような場面も……
そんな中でのウエンディの“大脱走”、当然今まで一人で見知らぬ街に繰り出すどころか一人でバスのチケットもホテルもとったことがない、いわば“はじめてのおつかい”状態の彼女を心配しないわけもなく??あーもうどうして一人で行ってしまうの!?困った子だわ……なんて思っちゃったりするわけですよ

私達が“面倒をみなければ何も出来ない”そう思っていたんですね。しかしそれはウエンディにもわかっておりました、いや“自分には誰も期待しない”姉の子どもを抱っこする事すら出来ないと思われているんだ、ウエンディはずっと感じていたんですね。だから彼女は「一人で行こう」と決意したのです。誰の手も借りず一人でこの“壮大なミッション”を達成したい、もし自分の書いた脚本がパラマウントに認められれば賞金が入る、そのお金があれば姉が家を売りに出さずに住む。そうすればきっと姉やまわりの皆も自分を“認めてくれる”、そう思ったのです。
しかし世の中はそう甘くはありません。障害者であることをカミングアウトしていない彼女を社会は当然“健常者”として扱います。劇中何度も彼女に困難が襲います。ただそこで「世の中って厳しいな」と思うことはあっても、彼女にはまだ無謀だ、厳しすぎる、などとは思えないんですよね。彼女のひたすらの“前進あるのみ”な行動力に、我々もどこかマインドを突き動かされてしまうというか、そこに障害とかはもう関係ないと思うんですよね、“人が頑張る姿”って、それだけでも応援しなくなるじゃないですか?
そしてそれは私達だけではありません、スコッティたちも次第にウエンディに対する考えを変えていくのです。「完璧な人間などいない。それは私たちだってそうじゃないか。」私たちだってウエンディと同じように子育てや仕事、日々生きていく中で「不得意」な事に直面しているじゃないか。そしてウエンディはまさに今それに“挑戦”している真っ最中なのだと気付かされるんですよね。その“挑戦”を邪魔するのは違いますよね?今まで彼女には“出来ない”とどこか決めつけて、“挑戦させる”事から逃げていたのは、彼女ではなく紛れもない私達なんじゃないか___??原題の「Please Stand By」“待って下さい”というのはそんな「決めつけないで」という意味もあるのかもしれません……。




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