ALOYS/アロイス(2016)
- ラーチャえだまめ

- 2020年5月5日
- 読了時間: 8分

【原題】ALOYS
【監督】トビアス・ノエル
【出演】ゲオルク・フリードリヒ ティルデ・フォン・オヴァーベック コイ・リーほか
【あらすじ】
棺の中に収められた父親の遺体を黙々と撮影する男。探偵のアロイスは、盗撮した大量のテープを眺め続ける孤独な毎日を送っていた。ある日、バスで居眠りしてしまったアロイスは、カメラとテープを何者かに持ち去られてしまう。やがて謎の女から電話がかかってきて、テープを返す代わりに、日本の精神科医が発明したという「テレフォンウォーキング」に彼を誘う。アロイスは電話の音を繰り返し聞くうちに、現実と妄想の区別がつかなくなっていく。
【感想(ネタバレなし)】

外出しちゃダメだ外出しちゃダメだ外出しちゃダm……え何か?どーもどーもラーチャえだまめです。先日アメリカ空軍が今頃になって突如UFOの存在を認めたらしいですが本日ご紹介したい映画、またしてもとんでもクライシスな“摩訶不思議作品”に偶然にも遭遇してしまいました。いやーこれは、、、、U−ネクストのオヌヌメに紛れていて“ミステリアス”って書いてあったからつい興味をそそられただけなのですが……蓋を開けてみたらばそんじょそこらのミステリアスどころの騒ぎではない

孤独を抱える中年男が「潜在意識」の中に「脳内彼女」を作りそれで救われたかと思ったら「碇シンジくん症候群」に陥って抜け出せなくなる話
アンタバカぁ!?___いやいやでもザッと言うとこんな感じの話をですね、、、、えーこれはスイス映画でしょうか、2016年の作品で日本でも一部劇場公開されたみたいですね、なんともスピリチュアルな世界へようこそ〜的な、ヒーリング効果すらあるんじゃないかと期待してしまいそうな全然ヘッチャラじゃない摩訶不思議アドベンチャー作品、だったんですねー。

物静かで他人との接触を極端に嫌う通称コミュ障の「孤独」な男アイロス。彼は今最愛の父を亡くし棺の中で横たわる父をじっと見つめている……おもむろにカメラを取り出し“父の死骸”をひたすら撮り続ける上田慎一郎監督も度肝を抜くカメラ根性っぷりでありますが……今度は電話ボックスの中に隠れて公園でいちゃつく中年カップルまで“盗撮”しているではないか___!?おいおいOPからいきなり事件の臭いがプンスカプンするするじゃn

一件落着。
探偵ね、、、、だろうとは思っていましたけどね、そりゃ“調査依頼”の為なら盗撮だってなんでもするのはナイトスクープで学びましたよそうアイロスのライフワーク、それは“他人の生活を盗み見ること”、そしてそれが彼の“唯一の趣味”でもあったわけなんですね。ある時バスで揺られてうたた寝してしまったアイロス。目を覚ますとあれ、ワイの大事な大事なカメラがバッグからなくなっているじゃありませんか。めちゃくちゃ焦るアイロスてんぱるアイロス唯一バッグの中にあったSDカードを自宅で再生してアイロスは絶句しました。そこに映っていたのは

紛れもない「自分」自身
彼は“撮る側”から“撮られる側”になってしまったのです。日頃他人の生活を覗き見する立場から逆に“覗かれる”立場になり“恐怖”を覚えるアイロス。そう!その感情!!それをお前は今まで人に浴びせていたんだぞ!!……すると見知らぬ者から1本の電話が。それは“女性”の声でささやき始めた。どうやらこの“声の主”がカメラを盗んだ張本人のようだ。「今すぐカメラを返せ!」アイロスは言う。すると“声の主”はこう答えた

「テレフォンウォーキングをしよう」
ハイ出ました「ワッツ・ア・イングリッシュ」のコーナーがやってきてしまいましたー“テレフォンウォーキング”?「電話放浪」とも劇中言うらしい心理療法らしいのですが“日本の精神科医が発明”した…?途端に怪しくなり早速スマホで「ねぇSiri、テレフォンウォーキングって何?」と聞いてみた所JR東海のさわやかウォーキング参加にあたっての注意事項で出てきてそっと画面を閉じました

やり方はですね、まず電話越しの“声の主”の言うことを脳内にイメージします。たとえば「足の裏に葉っぱを感じて」と言われたら目を閉じて“足の裏の葉っぱを踏みつけている感覚”を想像します。それをリラックスした状態で行います。そしてただ何もない空間にある葉っぱ……というよりは、深い深い森の中に落ちている葉っぱ、と言うようにそこからどんどん回りの環境やら自分のいる空間を想像します。
これが応用出来るとその“声の主”を想像の中に“登場”させることも可能になります。2人は今どんな空間にいるのか、今何をしているのか、壁との距離、ベッドからの距離など事細かに互いの“情報を共有”してそれを脳内で想像する。すると会ってもいない2人が、まるで“同じ空間で共存”しているかのような感覚になり、それがエスカレートすると相手の存在が“目に見えるようにわかる”という……まぁ早い話が

テレフォンS◯Xです
“声の主”いや“彼女”の声に従うウチにこれまで感じたことのない感覚、そして“脳内フレンド”との出会いにより徐々に孤独から開放されていくアイロス。彼が久しぶりに感じる「幸福感」。それまで空虚な塊でしかなかった、アイロスのココロに蘇る“人間らしさ”。しかしその影で“彼女”の声は徐々に弱まっていくのであった……
監督はスイスの新人監督トビアス・ノエル。彼の初長編デビュー作らしいのですが、いやーこれまたゴイスーな超新星が現れましたね。トビアス・ノエル……メモメモっと

壁が裏返ったり「キックしろ」と言って椅子を蹴り落とすような“SFチックな脳内描写”は出てきませんが、現実の世界と“想像”の世界が混在する次元に突入してしまう流れは非常に興味深く、アイロスが抱える現代病とも言える“鬱”や“孤独”と言った問題にもヒューチャーし、“想像力”がもたらすヒーリング効果、さらにはそこに“潜むワナ”なんてものも描いている、非常に抽象的な書き込みにはなってしまいましたが、この独特過ぎる世界観、まるでココロの内側を描いているかのような、そんな映画。これは是非とも私個人的にはオヌヌメしたい映画ですねー。
【感想(ネタバレ)】
“声の主”のベラはカメラを盗んだ時、何故アイロスをカメラに収めたのでしょうか。あれはおそらくアイロス自身に「自分自身を見つめ直させる」意味だと思いました。心理療法を行う前にまず必要なこと。アイロスはそれまで他人の生活を覗き見してきました。そうするウチに、気づけば彼の人生は“彼自身のもの”が何一つない空っぽの人生へと変わっていきました。

彼はカメラがないと他人と接触することが出来ません。おそらく死んだ父親とも生前共に住んでいたとはいえほとんど会話などなかったのではないでしょうか。彼はピアノを弾く父親の姿を撮り、その映像の中で父親の存在を感じていました。飼い猫でさえ直接触れ合う事もせずカメラで撮った映像を眺めていましたよね。そんなアイロスを密かに観察していたのがベラ。彼女はどうしてアイロスに接触を?彼女が“テレフォンウォーキング”を知っているのは過去に自分自身もやった経験があるからですが、それをしていたということは元々彼女には鬱傾向があった。そしてそんな自分とアイロスを重ねてなんとか救ってあげたい、とでも思ったのでしょう。
しかしベラは結果的に動物用のクスリを大量摂取して自殺未遂をしてしまいます。その時はじめてベラの顔を見るアイロス。それまでベラの言う、肌は黒くてカラダは細くて…なんていうデタラメな情報から雑誌に写る女性をベラだとイメージしていましたが声の主=ベラと判明してからは想像の中にベラ本人が出てくるようになります。
自宅でパーティーをするシーンがとっても印象的でしたね。ベラだけではなく近所の子どもやよく通う中華屋の店主にカメラに収めた者たちも登場します。現実では接触出来ない、関われない人間たちも想像の中でなら関われる、彼らは想像の中では自分を受け入れてくれる、“自分の味方でいてくれる”、人と繋がっているという“安心感”、これこそがこの心理療法の目的でありアイロスは徐々に孤独感から開放されていきます。しかしアイロスはそれに没頭し過ぎてしまいますよね。次第に想像の世界から抜け出せなくなっていきます。

アイロスはベラの声からベラをイメージして、潜在意識の中にベラではない「彼女」を生み出しました。そしてアイロスが愛したのはベラではなくその「彼女」だったわけです。ベラが徐々に落ち込んでいったのは、アイロスが自分ではなく自分の声から生み出された「理想の彼女」の虜になってしまい再び孤独感を覚えてしまったから。しかしそのことに気づけないアイロス。ついにアイロスは病院を飛び出し今まさに玄関の前に立つ“現実のベラ”より目の前にいる“彼女”を選んでしまいます。
ベラはもう現実にアイロスが戻ってこれない事を悟りマンションを去ります。アイロスは“彼女”を抱きしめようとします。すると目の前に現れたのは“彼女”ではなく死んだ父親でした。そして明確に“親父の死”を認知しているアイロスはそこで「これは現実じゃない。」とふっと目を覚ますわけなんですね。そして病院に戻ったベラの元へ行きます。そのまま二人は現実世界で出会いハッピーENDになるのか??そう思ったらラストシーンでこれ

いや〜これ素晴らしい画ですよね〜。アイロスはベラの病室を聞き出しベラの元に行った、しかし寝る場所がなかったのでベラの横たわるベッドの横で豪快にも雑魚寝…(ここだけちょっと笑うw)この時点ではまだ二人は出会っていません。しかし二人の吐息が見事に重なり、森の中の大木が映し出されます。2人はきっと同じ夢を見ていたのではないでしょうか?現実では接触していなくとも、二人のココロは既に出会っているんだ、と。それがわかるように2人の姿を上から映すとまるで一緒に横たわっているかのようになるこの演出。いやー素晴らしい。あの後2人が目を覚まして幸せになってくれたらな〜、ここは是非とも2人の幸せを願わずにはいられませんよね。思えば2人は同じマンションに住む住民同士、そんな2人をある意味“孤独”が結びつけた……というのがまたなんとも皮肉でございますが。。。




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