胸騒ぎ(2022)
- ラーチャえだまめ
- 2024年5月25日
- 読了時間: 9分

【原題】Gæsterne / Speak No Evil
【監督】クリスチャン・タフドルップ
【出演】モルテン・ブリアン スィセル・スィーム・コク フェジャ・ファン・フェットほか
【あらすじ】
休暇でイタリアへ旅行に出かけたデンマーク人の夫妻ビャアンとルイーセ、娘のアウネスは、そこで出会ったオランダ人の夫妻パトリックとカリン、息子のアベールと意気投合する。数週間後、パトリック夫妻から招待状を受け取ったビャアンは、妻子を連れて人里離れた彼らの家を訪問する。再会を喜び合ったのもつかの間、会話を交わすうちに些細な誤解や違和感が生じはじめ、徐々に溝が深まっていく。彼らの“おもてなし”に居心地の悪さと恐怖を感じながらも、週末が終わるまでの辛抱だと耐え続けるビャアンたちだったが……。(映画.COMより)
【感想(ネタバレなし)】

『ちょっと人を信用し過ぎじゃないですか?』
先日とあるお店でカウンターが空いているのに相席に案内され前に座る二人組がずっと豪快な咳をしながら喋っているのが気になってしまい何を食べたのかさえ思い出せないラーチャえだまめです。そういう時店員に「カウンターに移ってもいいですか?」と一言言えば済む話なのですが……
ここでもし席を移ったら前の二人組に「なんやコイツ」って思われるかな?「お前らのことが気になってこっちはロクに食事もできないんだよ」と言っているようなものでは?店員にもわざわざ手間をかけることになるな……「嫌われたくないな。」
……なんて思うから結果「貧乏くじを引く」なんてことありません?本日は佐々木蔵之介じゃなくてもそんなごくごく一般的な家庭が、とある家族と交流を深めてしまうことで「地獄のから騒ぎ」ならぬ
【胸騒ぎ】……!?み、みんな逃げろおー!!“北欧ホラー”だぁー!!!!(泣)そんな“冷酷無慈悲”な「ミッドサマー」「テルマ」「僕のエリ」そして最近でも「イノセンツ」……あとだいたいマッツ・ミケルセンが被害者になる”北欧ホラーの“容赦なさ”は諸行異常!?その北欧はデンマークより2022年の「胸ク◯&ク◯・オブ・ザ・イヤー」に輝いたとかもう既にアゼルバイヤバいジャン案件なコチラ。早くも原宿でマカヴォイことジェームズ・マカヴォイによる“ハリウッドリメイク”も今年全米公開予定の?話題の新作が日本でも公開。全国の“胸糞ロジスト”の皆さん、見たことを後悔することに快感を覚えるド変態の皆さんにきっと“ご満足”頂ける映画かと思い鑑賞したのですが……

物語はデンマーク在住の“ビャアン”家が、イタリアの旅行先でとても感じのいいオランダ在住の“パトリック”家と偶然知り合うのですが、旅行から少し月日が経ったある日「もしよければ今度ウチにおいでよ」とパトリック家から“オモテナシ”のお誘いが。なんだか感じのいい家族だったし、きっと“楽しいに違いない”と踏んだビャアン家は?喜んでその招待を受けてしまう。だがそのお誘いが滝沢クリステルも度肝を抜く“とんでもクライシスなオモテナシ”だった??
いやー「胸糞」というか、見ていてずっと「イライラ」というか……

“ビャアン”家に
いやーここまでイラツカせてくれたのだから“傑作”であることは間違なさそうですが?私は性格がク◯なので問題のパトリック家がムカつく、というよりビャアン家に終始イライラ……全く共感出来ませんでした。
そもそも世の中には「アタマのおかしい人」っているんですよ。電車乗っててもいるでしょう一言も言葉を交えたことなくても「ああーこの人とはわかり合えないな」みたいな?直感がそう、叫んでいる…!!その“直感”を信じないさいよっていう話(まとめるの早ー)私はパリピではないのでちょっとそうやってパーティで出会ってすぐ家ついて行っていいですか的なノリもわからないし“人をすぐ信用する”タイプがまぁ理解できないというか、人を信用しないこと=ネガティブに聞こえるけど、はっきり言えば信用しない=「自衛」だからね?よく言うじゃないですか。人を信用すればするだけ「裏切られた時のショックが大きい」って。
なんで“被害者側”にイライラなのかと言うと、今言ったまず旅先でたった一度出会っただけの“人間をすぐ信用する”のが一つでしょう?私なら絶対、ぜええええええっったい泊まりになんて行かないね!!ほぼ100%“勧誘系”に決まっt‥…本作は監督のクリスチャン・タフドルップ自身の“実体験”が元になっている。まあ実際は旅先で出会った人にお呼ばれされた、てだけの話らしいですが……(ちなみ監督は丁重にお断りしたそうだ)
もう一つは“「逃げるタイミング」はいくらでもあった”から。パトリック家の“異様さ”が顕著に現れ出すのは実はクライマックスだけで、それまでは“ちょっとおかしい?”くらいの違和感でしかない。でもその“ちょっとおかしい?”から“おかしいから早く逃げよう”と“直感”が叫んでいるのに?それをビャアン家は“無視”しちゃうんです。なぜそんなことしたって?

それは人間の持つ「招かれた客」としての、「世間一般的な“こうあるべき”な振る舞い」が邪魔をしたから。我々は招かれたのだ、その時点で相手に借りがあるだの、なるべく相手に失礼のないようにだの、多少相手から横柄な態度を取られたからって「無償で招かれる」と妙に納得させたがるのなんなんですかね?“社会的”に振る舞おうとした結果、ダラダラとパトリック家と関係を断てずに……そしていよいよこの家族には“本当に常識が通用しない”狂った家族だ!と気付いた時にはもうあまりにも遅い。だから“あのラスト”は個人的には「まぁそうなるでしょうよ」と変な納得感しかありませんでした。「なんであんな酷いラストになるんだ!?」なんて騒いでも無駄。

「狂ってる人」は早く“捨てましょう”
人って成人したらほぼ性格固定ですよ?なんで?どうして?理解しようとすること自体が無駄でしかない、は超個人的な意見ですが。だからパトリック家の“異常さ”に感心してる場合じゃなくて相手に失礼がないようにとか“道徳的”にとか一般常識的にとか、そんなのもう全部無視して無礼でもいいんです自分を守るために「早く逃げなさい」。もうこれしか言えないんですよ。でビャアン家は途中まで「逃げない」という選択肢を選んだ。あのラストはその結果でしかないのです。
しかもちょっと思ったのがビャアン家だって“そこそこ失礼なことしてる”っていうね?娘のベッドが小さい?それってアナタの感想ですよね?普通シャワー中に洗面所に入ってきてすぐ隣で歯磨きします?…いやそれも“アナタの家では”非常識かもしれません。でもここ他人の家やし……それにアナタたちだってひとん家でセッセッセーのヨイヨイヨイしてるじゃないですか?それを覗かれるのが嫌なら人の家でするな、という話。ベジタリアン?だからって今更料理変えられないんですー。「郷に入れば郷に従え」って言うじゃないですか。
でそれが「嫌なら帰れ」って話なのです。親戚なんですか?仲のいい友達の友達なんですか?ついこの前会った「はじめまして」の他人でしょう?裏切って何か気まずいことでもあるんですか…?「相手に変化を求める」自分たちの常識を押し付けてるようにも見える。ただ明らかに児童虐待なパトリックが“英才教育”として「これがウチのやり方です」と言われても「それは間違っている!」と言うビャアン家。話の通じないパトリック家に“説得”しようとする彼らは優しい“天使”なのかもしれませんね。突然何を言い出すんだと思うかもしれませんが、本作は詩的な意味も含んでいるから(特にラストショットの画とエンドロールの絵がそれを思わせる)ビャアン家=天使だとすると?それと対を成すパトリック家は当然“悪魔”ですよね?そして本作の英語版の原題は“Speak No Evil”……おわかりいただけただろうか?

そしてさらに面白いのがビャアン家=天使から「堕天使」になる話、という風にも見えてくるのです。それもラストシーンがもうそういう風にしか見えないというか。先程「逃げるタイミングはいくらでもあった」と言いましたが、厳密に言うと「一度逃げる」のです。ですがそのあとまた戻ってきて、そこでパトリックから「なんで黙って帰ったんだ?」と突っ込まれる。まあ当然ですよね。そこでビャアンは「えーっと、別にキミたちのことは嫌いじゃないんだけど、まあ色々あってモジモジ……」とか言って「相手から離れたい、けど嫌われたくない」がホンネなわけですよ?自分たちが悪人になりたくないから遠回しな言い方をしているにすぎない。世の中いいとこ取りなんてそうは問屋がおろしません。「偽善者」なんですよね。ビャアン家は典型的な「誰にも嫌われないように生きたいタイプ」の家族。常にホンネと建前を気にして……でも結果として相手に対して失礼な態度も取ってるのよ。まあほとんどの人間が“そうありたい”と思うんだろうけど。そう考えると彼ら、否我々だって「堕天使」=罪深き悪魔なんじゃない……??
【感想(ネタバレ)】
英語版の原題“Speak No Evil”。意味は「悪を言わざる」。日本の“見ざる、言わざる、聞かざる”のことわざの一部だそうですが、まさに“悪魔=パトリック家は何も言わない”という意味になっているのでは?そんな悪魔に天使=ビャアン家が「どうしてこんな酷いことをするんだい!?」と正論ブチかましたところで悪魔なんですから、“いい返事が返ってくるわけがない”向こうはそんな気サラサラないだろうし期待するだけ無駄なわけです。だって相手は悪魔なんですから……理屈が通用する相手ではない。現になぜあのような酷いことをしているのか“全くの不明”。個人的に人身売買?子供の臓器でも売って生計立ててるんかな?とか、あるいは同じリゾートで何組も家族を襲っていることから、襲う家族はお金持ちの富裕層?無職な貧乏人による“富裕層へのただの逆恨み”説もあるかな?いずれにしても“何も言わない”から想像でしかありません。ちなみにパトリック夫妻を演じた俳優は“ガチ夫婦”らしいです(よくオファー受けたよ)

で、さらにデンマークの原題はそれとはまた違ってGæsterne=「客」という意味なんですよ〜。この「客」というのはビャアン家を意味している?でも「悪を言わざる」=「客」となれば、逆の意味になってしまいますよね。ここで“言わざる”のは誘拐され舌を切られて喋れなくなった子供のことも含んでいるとしたら?そしてその子供は元は被害者家族の子供なわけですよ、てことはやはり“言わざる”方は被害者家族?そして何を言わないのか。ちゃんとはっきりNOと言えばいいものを、“言いたいことも言えない”だって私達は“天使”ちゃんだから……先述した「堕天使」の話。早朝出ていって引き返した時にパトリックに「どうして不満を言ってくれなかったのか」と問われるシーン。はっきりとNOと“言わない”ことは、「偽りの協調」「少しでもよく見られたい」と願うただのエゴなんじゃないの?
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