アス(2019)
- ラーチャえだまめ

- 2019年9月11日
- 読了時間: 8分

【原題】Us
【監督】ジョーダン・ピール
【出演】ルピタ・ニョンゴ ウィンストン・デューク エリザベス・モスほか
【あらすじ】
アデレードは夏休みを利用して、夫と2人の子供たちと一緒に幼い頃住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズの家を訪問する。彼女は友人一家と落ち合いビーチへ出掛けるが不可解な出来事に見舞われ、過去のトラウマがフラッシュバックする。やがて夜になると、自分たちとうり二つの不気味な4人組が家の前に現れる。(Yahoo!映画より)
【感想(ネタバレなし)】

『ドッペルゲンガー、白ウサギ、ハサミ、11:11、そしてタイトル表記の「Us」、、、、、その全てに意味があるとしたら?』
どーもどーも東京ミッドタウン日比谷の屋上で一人で座っていたらあれ、意外と独り身の女性が多いな〜、そっかきっと仕事終わりにホッと一息でもついてるのかな〜、とシンパシーを感じていた所後からズラズラ男共が隣に座り始め結果独り身なのは私だけでしたラーチャえだまめですよろしくお願いしますーーーー。というワケで今日はずっとずっと前から私が観たかったコチラの作品【アス】!!!!!…を初夜に拝見したのでありますがいやいやコレがまたまたどーして第一印象的にはかなーり「変わった映画」だな、てゆーか“個性”強すぎて意味わかんねーよ!!笑なんていう、“斬新”かつヒジョーに“奇妙”な映画、だったんですねー。
それもそのはず監督はあの「ゲット・アウト」で壮大なデビューを果たした冗談は顔だけにしろよ、でお馴染みコメディアンのジョーダン・ピール監督!いやーデビュー作でいきなり観客の度肝を抜く“挑戦的”な映画を世に送り出した、あの1作でもうメロメロキュンキュンになってしまいましたそんな彼の新作となればこれまた当然観てみたくなってしまうのがヒューマンの性

2作目にしてその“才能”が大爆発
しちゃっているんですねーコレが!?全米でも大ヒットを記録、批評家にも大絶賛されているというジョーダン・ピール監督の最新作【アス】、一体全体どんな映画なのか?“当然のこと”ですが“衝撃的な結末”が待っている……以外にはあまり詳しくお話しない方がいいのかもしれない??とにかくOPから“目を離さず”ご覧になって頂きたい

その“全て”に実は壮大な“意味”が隠されている系の傑作
だと私は断言致します!!そうです!!観た方ならおわかり頂けるであろう1986年のあのCMからはじまり、ブキミなBGMと共に唐突に因幡の“白ウサギ”を映し出されての“Us”というタイトルロール……なんかあるんだろな、絶対“何か意味がある”ことだけは理解できるなんとも“意味不明”なシーンの数々。。。。
とある4人の黒人家庭がバカンスで訪れた家の前に突如現れた、自分たちと全くもって“瓜二つ”の4人の人影。。。。。一体彼らの正体は?何の目的が??そして家族の運命は_??

主演陣は全員“一人2人役”を演じ子役の子もその演じ分けとか良かったのだけれども中でも母親役のルピタ・ニョンゴの顔g、演技がまたスゴイんですよねー。恐怖に怯える顔と恐怖の顔……同一人物に全く見えない、特にトッペルゲンガー側のニョンゴのギョッと目を見開いた顔はトラウマ級な怖さでございます。
一体どんな“オチ”が待っているのか、、、、そればっかり考えて観ていたんです。あの予告にも出てきた“トッペルゲンガー”をどう我々に“納得できる”カタチでストーリーに組み込んでくるのか……ですけどそんな事今作に至ってはヒジョーに失礼な考え方である事がわかってしまったのです。ものの見事にその部分だけスポーンと抜かされて「いやいやそんなんどーでもええやんソッチはソッチでテキトーに自分たちで解釈してね?」とジョーダン・ピール氏はきっとそう言いたいに違いないそんな事よりも画面に散りばめられた“伏線”の多さと「その先」に込められた監督の“意味”を後から知った時の衝撃よ!?
全体的に少々“キレ”が悪く、なんでもかんでも丁寧に観せすぎてテンポを失速させている部分もありました、全てが完璧だなんて言いません。がその分観客にツバさえ飲み込む事さえ躊躇させる緊張感を作り出し、またそれには観客を飽きさせずグッと惹きつけるものがなければなりませんが、次のページ開いたら見開きでいきなり巨人が出てくる「進撃の巨人」ばりの先の読めない展開、そして大谷翔平も度肝を抜く「ホラー」✕「社会風刺」の前作のさらに上をゆく

「ホラー」✕「コメディ」✕「社会風刺」の三刀流
これを完全にキメちゃってるんだもんなぁ〜!!前作では封印したコメディアンとしての才も今回新しく組み込みゾクッとするような恐怖、かと思いきやその後「ブラックパンサー」でゴリゴリ番長を演じたウィンストン・デュークが見かけによらず頼りないけど家族サービス満点の“お笑い”担当の父親を演じ急な“笑い”が起きたかと思ったら最後で“トドメの一撃”とばかりにアメリカ社会の抱える“闇”の部分を大胆不敵に見せつける。。。。まさにここへ来てジョーダン・ピール監督の“ウマミ”が最高峰にギュッと詰まったとんでもクライシスな映画が爆誕してしまいました、2019年度見逃し勿体無いランキングに必ずやランクインするであろう傑作でございますッ!!
【感想(ネタバレ)】
いや〜正直に申しますとはじめ見終わった後は全然わけわかんなかったんですよ。何故白ウサギ?11章11節だっけ?11時11分とか“偶然の一致”というキーワード、そしてラストのV6もビックリのOh〜♫さぁ輪になって踊るんじゃねえかってレベルでみんな手繋いでナンデスカ人間万里の長城でも作る気なんですか?……なかなか難解トラフな部類の映画ですよねー。
しかしその後俗に言う“考察”というものをネットやら掲示板で探して読んでみた所“あ、そーゆー事なのねッ!!!”とガッテンガッテンですよ!?ほほぉ〜、なかなかよく考えられているな〜というのがわかってしまったのです!!

まずトッペルゲンガー=“政府が地下室で作り出したクローン”と急にSFチックなオチは正直な所“仕方ないからとりあえずそれっぽい理由つけてみた”的なかなり雑な扱いでこの部分に関しては“ワケなんてなんでもよかった”が正解だと思います。よってこれ以上広げて考える必要はナシ。
それよりOPから出てきた白ウサギ、ですよねーやっぱり。。。。あれはたぶん白ウサギ=“実験用動物”という意味でしょうOPで檻の中に閉じ込められている沢山のウサギ=クローンですよ、という事で間違いなさそうです。その後母親が地下に降りるシーンでそこらじゅうに白ウサギがいます。何かが起こって檻(地下)から逃げ出した白ウサギ=クローンを表しているんだと思います。
ちなみにOPの檻のシーンで“黒ウサギ”が1匹、グレーっぽいヤツが1匹いたのをご存知ですか?実はそれにも理由があるんじゃないか……それはズバリ2匹の“色違い”の数

“入れ替わった数”
を暗示しているのではないか。ラストでルピタ・ニョンゴ演じる母親は幼少期に実はクローンと“入れ替わっていた”という衝撃的な事実が明かされます。失踪後コトバを喋らなくなったのは喋れなくなったのではなく、そもそも外界から遮断された地下で育ったため“コトバを知らなかった”ワケなんですね。ホラー映画の演出かと思われた友人はソッコーで殺されるのに主役の母親だけはクローンに襲われても殺されなかったのは同じクローン同士だったから、という考え方も出来ます。この母親は疑いようもなく完全にクロ=黒ウサギでございます。問題はグレーなんですよ。実はもう一人、断言は出来ないのですが(具体的なシーンがない)一番下の長男も実はどこかのタイミングで“入れ替わって”いるんじゃないか、というのが今ネット上で拡散されているのですねー。

何故かって?まず極端に口数が少なく、家族から“変人”扱いを受けている、そしてクローンの彼は白いマスクを被っておりますが、クローンの中で唯一“ハサミを持っていない”のが彼なのです。あのハサミの形は左右対称、つまりクローンを指しているアイテムで(ちなみに11:11も左右対称で同じ意味)それを持っていない=クローンじゃない?=オリジンの方なのではないか……
しかしこれには同じオリジンの母親がハサミを持っていたり一概に断定は出来ないんですけどね。そして入れ替わった場所、あのお化け屋敷みたいな場所でしか外と通じていないとすれば一人でオチッコ行った帰り道に迷い込んだか……いやそれにしては時間が早すぎるような気もすr…という意味で=“グレー”……ここまで計算されてたらヤバくないっすか?笑
またみんなで手を繋ぐ行為……あれはOPで出てきたチャリティー活動のTVCMをかつてオリジンが見ていてそれをそのまま真似した、彼らは知能のあるオリジンによって地下で規則的な行動を取るよう鍛えられました、地下にいる自分たちの存在を外の世界にアピールする為とか?そこにはアメリカ社会の抱える

「格差社会」
というものが根底にある、という「ゲット・アウト」で黒人差別の問題を投げかけたジョーダン・ピール監督ですが、今作でもやっぱりそのような“格差”をテーマに入れてきました。OPで世界には知られていない地下道がどうたらこうたら〜というテロップが流れます、今作にはまさに我々の知らない場所(=地下)で様々な差別を受けて生きている人間(=クローン)が存在していて彼らは地下から出てこなければ永遠に認知さえされなかっただろう存在なのだと・・・。
そしてもう一つ、終盤でバレエを踊るオリジンにクローンがなかなか追いつかず、そしてオリジンとの戦いによってクローンが徐々にクローンがもつ独自の“凶暴性”を再び開花させていく描写。オリジンを絞め殺した時のクローンの“狂気に満ちた顔”、長男に向かって「ニタァ。」と笑って終わるのはどんなに時をかけてオリジンになりきろうとしてもクローンの内面にある凶暴性を隠し切る事は出来ない=人はそう簡単に変わる事は出来ない?そしてそれはUs=私たち、であり“US=アメリカ”にも言えることなんじゃないか?…コレはヒジョーに考察しがいのある練りに練られた怪作だと思いましたね〜。




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