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サクッとレビューその16「ゴーストワールド」


『頼りがいのある男はみんな大体半裸説』

 
【サクッとレビュー(ネタバレなし)】




どーもどーもスタバに吸い寄せられる人をシロアリと呼んだらキレられますラーチャえだまめです。本日はコチラの映画を拝見させて頂きました



【ゴーストワールド】!!!……批評家から絶賛され数々の賞レースにノミネートされたオリヴィア・ワイルド監督のデビュー作「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」が日本でもヒットした記憶が新しい、その「ブックスマート〜」が“手本”として参考にしたとされる作品がコチラ、中学イケてない芸人ならぬ学園“こじらせ系女子コンビ”の「元祖」と言われ、2000代初期に爆誕し公開当時はそれほど話題にならなかったもののその後“時代が作品に追いついた”とばかりに一部ファンの間で“人生のバイブル化”し再評価されはじめ、そして22年後の今になって再上映された知る人ぞ知る?青春映画……という訳で今回拝見させて頂いた次第であります。ちょっと前までDVDも廃盤になってて、ホントに知る人ぞ知る映画だった本作が劇場で公開される、これはもう「いつ見に行くの?」「今でしょ…?」……あこのネタもう10年前のネタって知ってました?今10歳の子知らないんですってぇ!?いやーもう嫌になっちゃいますね。そんな今からほんの数年前だと錯覚したら歳がバレる2001年に公開された本作、主演は当時「アメリカン・ビューティー」で注目されたソーラ・バーチと当時まだ15歳の“小グモ”だった我らがスカーレット・ヨハンソン!?(ちなみにこの2年後に出演した映画が「ロスト・イン・トランスレーション」の新妻役だと知りさらにビビる)



この初々しさMAXの幼なじみの仲良しこよしコンビのティーン、イーニドとレベッカが、これまで2人とも甘酸っぱいアオハルとは無縁の人生を送りこの世界に住むナイキシューズに憧れビッグマックに異常な愛情を注ぐ“愚かな人種”を見下しながら、あーだこーだ街の“ご意見番”とばかりに“世の中の不満を口から垂れ流し”て息をする日々。わかりますわー、今でいう“バズり”に異常に反応する連中のことですよね?私も産まれてこのかた完全に“コッチサイド”の人種なので性は違えど2人に対して親近感を感じずにはいられませんでした。いつの時代にもいるんですよね、世の中になんとなく“馴染めない”どころか疎外感を感じて生きているシーンがあるというか。それが今では「個性」みたいな言い方されてようやく市民権を得るところもで始めたものの、2000年代はまだまだ“ハミダシモノ”として虐げられていたわけです。



そんな卒業してもずっと仲良く2人だけで世の中に毒つき回る日々を送れる……と思っていたのが、卒業しても特にやりたいこともなく就職もせずフラフラとその日暮らしのように生きるイーニドと、カフェでアルバイトしながら一人暮らしの準備をはじめるレベッカ、2人の“均等”が徐々に崩れ始める。そこへスティーヴ・ブシェミ演じる“レコードおじさん”シーモアの登場によりさらに2人の亀裂が加速、イーニドとレベッカ、シーモアの“三角関係”にまで発展!?原作はダニエル・クロウズの同名グラフィックノベル、日本では翻訳版が再販されている模様。シーモアは原作に登場しない映画オリキャラですがイーニドが“レコード”を通してシーモアと徐々に心を通わせ“救われていく”心境の変化や、反対に女性に対して後ろ向きなシーモアにイーニドが“恋愛アドバイザー”として(半ば強引に)協力することでシーモアにもついに春が到来…??原作にはないこの2人のNEWコンビの良さ、そして“ラブコメ”ような展開が面白い。そんな感じで最後までコメディ要素満載の“楽しい映画”と思っていたら













なんだよあの終わり方は畜生おおおおおおお!!!!!(泣)






ガッテム!?「青春の残酷さ」を叩き込まれてそのままストーンと落ちる所まで落ちてEND……とはある意味衝撃的過ぎやしないか??いやー見る前と後ではガラリとイメージ変わりますね。普通こういう思春期拗らせ映画って単純に笑えてちょっぴり感動したりして人にススメやすいのだけれども、本作は「ススメる人をよく見極める必要がある」映画かもしれません??(映画好きなら間違いなくおススメしますがね!)





 
【サクッとレビュー(ネタバレ)】




今年公開された「アフターサン」みたいな、私は唐突に「は!?」ってさせられる感じが似ているなと思いました。あのラストはなんなんですか、私はすんごいバッドエンドを想像しちゃったなー。だってラストに「来るはずのないバス」が来てそれに乗っちゃうんですよ?猫バスじゃねえかああ!!あの爺さんはバスに乗って「旅立った」、ゆえにイーニドも同じ道を選んでしまったのんだと……。なぜってそりゃあ“心の支え”である2人を両方愛そうとして結局どっちつかずになり両方“手放す”結果を招き、大学進学の夢も消え失せ大嫌いな親父の恋人と一つ屋根の下で暮らす未来が待っているという「人生に絶望」したからなんじゃないの…?(そんな「リリィ・シュシュ」みたいな壮絶鬱映画ではないが)



ラストまで見てはじめて本作のタイトル「ゴーストワールド」の意味がわかったような気もしました。ク◯つまらない世界、その中で「みんながそうしているから」と思考停止したゴーストみたいに生きる人々。そんな何もかもが「終わってる」世界を拒絶して見下して、でも次第に自らもその波に飲まれ「共生せざるを得なくなる」その現実を受け入れ変化しようとしたレベッカと受け入れられなかったイーニド。この2人が仲直りして共に暮らす世界線であって欲しかった。ただもしそうなっていたら都合が良すぎてココまで後世に語り継がれることもなかったかもしれない。本作はムービーマジックとは程遠い“世知辛い世の中”をそのままストレートに描き、しかしリアリティがあるからこそ同じ「ハミダシモノ」だった観客の共感を呼ぶ作品ともなった。レベッカやシーモアの人生をめちゃくちゃにして旅立つ“無礼さ”が勘に触るかもしれない、けどそれ以上にイーニドはある意味「人間らしい」性格とも言えるかもしれません。



本当に彼女は「ゴーストワールド」に旅立ってしまったのか。「ミイラ取りがミイラになる」じゃないけどゴーストみたいな人間を嫌う彼女が、最後は魂が抜けたみたいに街をただボーっと歩き続ける姿はまさにゴーストそのもの。ゆえにポストクレジットにも登場するアジアンヌンチャクジェレネーション男がいい緩衝材になってるといないとか……



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