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シン・エヴァンゲリオン劇場版(2021)−ネタバレ−


【監督】庵野秀明(総監督)鶴巻和哉 中山勝一 前田真宏

【出演(声)】緒方恵美 林原 めぐみ 宮村 優子ほか

【あらすじ】















 
【感想(ネタバレ)】
 




















僕はもう、エヴァの記事は書きません












……いや“書けない”と言ったらいいのだろうか。僕は…ダメだダメなんですよ…ヒトを傷つけてまで、殺してまでエヴァを書く資格なんてないんd……!!もうエヴァを観るとはっきりわかっちゃうんだよね





















「理解出来るリリン(人)とそうじゃないリリン」










いやはっきり言って「エヴァなんて理解できてたまるか。」これがこれまでのエヴァ、そして今作の「シン・エヴァ」を通しての率直な意見です。もう神話がなんだウルトラマンネタがなんだ、、、、、本編が2割くらいわかればいい方ですよ。この記事を書く前に私たくさん調べました。調べて調べて……そしてもう頭が痛くなりました。考えるのを止めました。エヴァってそんな作品です。考察あってのエヴァ。そして監督を含む製作サイドから一切の”正解“が発表されないもんだから余計に考察は加速する__。公開初日から様々なブロガーの方たちがあのシーンの意味は◯◯だ、とかアレは◯◯◯のオマージュだとか……なんかもうあまりに皆さんの考察力が凄すぎて私も一応しがないブロガーやってますけども、なんかもう自分がこの人たちより「“理解出来ていない”という劣等感」に襲われてしまったというか……。なんて自分は愚かなんだバカなんだ、と___。



そして迷いました、この記事を書こうか迷いました。自分も他の方のように考察でもしてみるか?けど考察するにはどっかから情報を引っ張り出してこなければならないし、またそれを自分がちゃんと正しく理解出来ていなければならない。もう疲れました。私にはそんなたいそうな事出来るわけがない。…ちくしょうちくしょう…ちくしょう!ちくしょう!!



考察している方だって「それが本当に正しいのか」どうかなんてのはわからないはず。けど彼らは「自分が思う考察こそが一番なのだ。」と主張する。エヴァの考察はバチバチものだと思います。考察掲示板を見れば賛成派VS否定派の論争は起こっているし「オレの提言する◯◯は正しい説でお前の言う△△説は✕✕の点で間違いだ!」いやいやなんでそんなことが言えるんだ?だって正解のない作品だぞ?私の目には考察者たちは皆お山の大将にしか写らない。彼らを否定する訳ではないが。なんだろう
























「エヴァ」は好きだが「エヴァファン」は嫌い












エヴァ未経験者に無理やり押し付けてくるヤツは論外だが、金子みすずの「わたしと小鳥と鈴と」の歌をご存知ですか?「みんなちがってみんないい」___。それじゃ駄目なのか。どうして人は“答え”を求めるのだろうか。エヴァとは庵野秀明という人の“おもちゃの入った箱”だと思うのです。そのおもちゃが“なぜ箱に入っているのか?”考えたって無駄です、だってそれは庵野秀明という人がただ“好きだから”です。好きで遊びたいから。ただそれだけなんです。それをファンは“なぜ箱に入っているのか”必死に議論する。そんな数々の小ネタに本当はそこまで深いメッセージなどないのに、そこに深い意味を持たせたいのがファンなのです。そしてファンはついに“なぜ箱に入っているのかの理由”を後付する。そこに庵野秀明とファンと間にエヴァに対する“意識のズレ”が生じてしまったのではないか?



そして庵野秀明はそのファンの行き過ぎた考察力により、エヴァが一つの“神話”として後世まで語り継がれる作品へと拡大していったことには「ありがとう。」しかし作品に固執し続け“エヴァの呪縛”にハマりいつまでたっても取り残されたシンジのような少年のままでいる、すべてのファンに対して「さようなら。」=「呪縛からの開放」つまりは「エヴァから卒業して大人になりなさい。」と言いたかったのではないか。シンジくんは26年経ってようやく“成長”することが出来た。次は君たちの番だよ。そんなメッセージを私はあのラストで感じました。なのに本作公開後も依然として考察を止めないファン。それはつまり彼らはまだ“エヴァの呪縛”から開放されてはいないと言うこと。卒業出来てないのだからなんだか壮大な皮肉のようにも思えてしまう。



成長したシンジの声がなぜ俳優の神木隆之介くんなのか。勿論声優としても活躍しているから、ただの話題性があるから、とも考えられるが。そこに世間一般の認識として「現実世界にいる俳優の神木隆之介くん」というイメージを我々視聴者に植え付ける意図があったのではないか。つまりあのラストでは成長したシンジを見せたうえで「エヴァ」というアニメの中の空想世界から、我々のいる「外」の世界、現実世界に我々の意識を向けさせたかった。「エヴァへの卒業」を意味しているから。



……て結局散々嫌いと言っていた考察マンに私もなっているじゃないか。私もまだまだ卒業出来ていない一人なのかもしれない。まだ呪縛へと誘われるのか私は。庵野秀明の手からは完全に離されたエヴァ。しかしエヴァはまだまだ我々を誘う。シリーズは完結しても今後もタイアップやコラボといった具合に「エヴァコンテンツ」は生き続ける。「さよならはまた会う時のおまじない」劇中そんなセリフがありましたね。それって真逆じゃないのか。もう卒業させたいんじゃないの?また会ったら本末転倒じゃないか……それは庵野秀明のセリフではなく「エヴァ自身」のセリフなのかもしれない。



そして私は卒業できていないから、自分より鋭い考察を挙げている人に対して劣等感を感じているのではないか?「みんなちがってみんないい」この言葉を認めたくないのは、本当は私自身のほうなんじゃないか…?「みんなちがってみんないい」なら劣等感など感じる必要などない。たとえその人がものすごい世紀の大発見レベルの考察をしていたとしても「そういう見方もあるよね。」と優しく肯定出来るはずだから。それもまた「エヴァへの卒業」……





































































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