ブレックファスト・クラブ(1985)
- ラーチャえだまめ

- 2020年7月29日
- 読了時間: 6分

【原題】The Breakfast Club
【監督】ジョン・ヒューズ
【出演】エミリオ・エステベス モリー・リングウォルド アンソニー・マイケル・ホールほか
【あらすじ】
土曜の休日と言うのに学校に登校させられた高校生5人。彼等はさまざまな問題を起こした懲罰として自分についての作文を書かされるハメになった問題児ばかりだった。大きな図書館に軟禁状態にされ、何から書いていいのかわからないままだらだらと時間だけ過ぎて行く中、雑談からお互いの身の上話を交わし始めた彼等は次第に心を開かせて行く。(Yahoo!映画より)
【感想(ネタバレなし)】

『わかりみが深い』
どーもどーも学生時代に環境美化委員の身でありながら校庭裏の花壇にダイブして全部枯らした記憶が今でも忘れられませんラーチャえだまめです。と言うわけでそんな私個人的にはアオハルと言うより興ざめかよというしかし今となってはそれも良き「青春」だったのかな……、なんて相変わらず都合の良い自己解釈しております今日はそんな誰もが通る“青春時代”を描いたドラマとしてここ最近ですか?再評価されている1本と言っても過言ではない?「THE青春映画の名作」とまで言われている映画を拝見させて頂きましたよー
【ブレックファスト・クラブ】。朝みんなで食事しよーという中国4000年の朝食ではありませんいやー観たことなかったんですよねー、そんなに有名な人が出ているワケでもなくしかもほぼ全編“学校の図書館のみ”で撮影されている、なんともワンシチュエーション的な予算的にも低な方の作品らしいのですが??アメリカでは今は無き80年代を謳歌していたティーン達から今現在まで絶大なるリスペクトを受けているそれはフィルムメイカーも例外ではなく自身の作品に“ネタ”として度々起用されることも多い、つい最近やった「レディプレ」に登場した図書館も本作をイメージしていたらしい
そんな日本では仮にそこまで有名ではないかもしれない、しかしアメリカ人には“80年代青春のバイブル”とまで言われている「ブレックファスト・クラブ」。日本人が見ると「日本人の憧れる80年代アメリカの学園イメージ」そのまんまという印象を持つと共にそれまであまり馴染みのなかったという「スクールカースト」の実情に真っ向からメスを入れた作品としても非常に定評のある、そんな映画だったんですねー。

土曜の丑の日……いや休校日に学園前にやってきた5人の学生。ムキムキのスポーツ野郎、お嬢様体質、ガリ勉くん、ロバ顔のチンピラ、そしてフケを撒き散らす不思議ちゃん……ゲームのキャラなら個性が違いすぎてどれを選ぶか迷ってしまう程の“全く違うパーティ”と言ってもいい互いの名前すら知らないまるで接点のない5人が、とある問題を起こし“補習”という残酷なまでの退屈な8時間を図書館に閉じ込められて過ごさなければならなくなりました。若干ベン・メンデルそーーーーーーーーーーーーーーーーーん似のセンコウから突きつけられた補習課題はズバリ「自分とは何か」_____。今彼らの中で“何か”が変わろうとしていた……

で、こうなったワケ
え、GOGOティーンレンジャ〜♪じゃなくて?男子3女子2の男女5人組の配分バッチリかよ!!どこぞのレンジャーものと勘違いしそうな、いやそれくらい個性が尾崎豊過ぎる5人なんですよね。みんなそれぞれ異なる理由で集められ、本来なら“関わることのない”5人。まずはじめに完膚なきまでに“場をかき乱す”チンピラのジョン

コイツがねーなかなかにして“関わりたくない”ホントはフェリス女学園にでも入りたかったお嬢のクレアや運動神経バツグンの堅物アンドリューに「え、お前ら付き合ってるんけ?笑」と早速絡みまくるわセンコウから喋るな言われてるのにお構いなしにピーチクパーチクお喋りク◯野郎フルスロットルで全ッ然ボクは作文に集中出来ましぇぇん!!!それを横目にNEXT出来杉君候補のブライアンは一見自分は関係ないと楽しんでいたもののすかさずジョンの次なる“標的”にされ……そんな中ちびまる子ちゃんの野口さんも絶句する食パンに砂糖をぶちまけその上に手で思いっきりすり潰したキャラメルポップコーンをトッピングして食パンで蓋をしたあとバリバリと音を立てながら食事する光景を見たらば

さすがにみんな黙る
もうホントにずっと図書館の中なんですよね。でもって登場人物も生徒5人とセンコウ1人(あと用務員1人)という、かなり少ないメンツで1時間半……正直退屈になると思っていました。しかしいざ見てみるとこれがなかなかどーしてそれぞれの抱える「家庭内事情」、それぞれが属する世界での「カースト事情」、そして作文のテーマにもある「自分とは何か=将来的にこれからどうなっていくのか」という、ティーンならではなナイル川より「壮大な悩み」、そして見えない闇にこれから嫌でも向かって行かざるを得ない“成長”という名の未知なる恐怖に怯える彼らの表面ではいくら着飾っていようと隠しきれない「内面の姿」をこれでもかとぶち撒けていくんですよね。そんな彼らの「ホンネで語ったろ」シーンが実に感慨深いとうか、まぁ皆切実すぎる悩みばかりで……これは響く。ホントに響く。

で、課題は?
誰かしら1人には共感できるかもしれない。それだけこの5人の生の声に吐息が聞こえてきそうな「リアルなキャラクター」、青春映画の名手として知られるジョン・ヒューズ監督の描く「今そこにあるティーン像」は、まさに現代の学園物語にも充分通じるものだと思いましたねー。
ただ、ただですよ?すっかり成人を迎えてしまった後で見た、これは私個人の意見としてあまり参考にならないかもしれませんが本作は10代と20代以降の“世代”とでは全く異なる見え方をするのではないか、そう思えてなりません。

センコウがウザい。とにかくウザい。今まさにこの厳しいコロナ下にもめげず学園生活をおくる方々には本作に登場するセンコウとは、5人から一切の「自由を奪う嫌な大人代表」のような、そんなイメージを持つかもしれません。私も若ければ素直にそう感じていたでしょう。ですがそのセンコウに対しても共感出来る部分がある。いくら言っても言うことを聞かない生徒にあそこまでブチ切れるのもわかるし、自分が老いた時そんなヤツらに将来何かと世話になるかもしれない、と考えると途端に不安で夜も寝付けない。その気持もわかるんだよな〜、どうしても大人サイドに気持ちがついちゃうんですよね。
そんな己の気持ちがより顕著にわかるのがあのラストでございます。本作では大人=つまらない生き物として描き、「機械的で無機質な感情に包まれる大人への反抗」を美徳として描いているんですよね。でも結局彼ら5人は将来的にそれに近い者になるのは避けられない運命なわけで、大人=成長ではなく腐敗として捉えるのは、大人が見ると少々乱暴な解釈に見えてしまいます。そしてラストの唐突過ぎる「ベタ展開」が個人的には実に子供っぽさがむしろ際立つといか、てっきり“友情”で終わると思っていたんですけどねぇ…。彼らは嫌な大人として成長するのではなく、そんな大人に対して「若者にも“発言権”はある」と己の主張を真っ向からぶつけて終わるワケです。そうまさに尾崎豊の歌詞のように。。。。
けどそれが、若さゆえの“極端さ”に最後走ってしまう所が、若くなきゃああはならないよな〜と、つい白い目で見てしまう……大人ってやっぱりつまらない生き物ですね




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