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ロニートとエスティ 彼女たちの選択 (2017)


【原題】Disobedience

【監督】セバスティアン・レリオ

【出演】レイチェル・ワイズ レイチェル・マクアダムス アレッサンドロ・ニヴォラほか

【あらすじ】

厳しいユダヤコミュニティーで育ったロニートとエスティは恋に落ちるが、おきてによって許されぬ行為とされてしまう。それを受けて、ユダヤ教指導者の娘だったロニートは父と信仰を捨てて故郷を離れ、エスティは幼なじみのドヴィッドの妻になりユダヤ社会で生きることにする。時は流れ、父の死を契機に帰郷したロニートは、エスティと再会する。互いに対する思いを抑え切れない二人は、ある決断を下す。(Yahoo!映画より)




【感想】

『結論:地元の葬式は修羅場』







どーもどーも先日右乳首をダニに食われましたラーチャえだまめです。早速ではございますが本日はコチラの映画を拝見させて頂きました



【ロニートとエスティ 彼女たちの選択】。いやー普段ドB級映画を観続けているとたまに“ちゃんとしたドラマ”が観たくなるんですよね、でもなんでまたこんな映画手にとったんだろう、なんて思われた方もいるかもしれません



……「わかりません」。主演は「ハムナプトラ」でミイラも蘇生する可愛さから一転パート2でいきなり化粧が濃くなり同一人物に見えなくなった夫は殺しのライセンス保持者レイチェル・ワイズに別名吹き替えならぬ“ラブコメ映画の帝王”の通り名を持つ最近赤いマントをぶら下げポータルから戻ってきたかつての同僚の看病にも必死に対応したレイチェル・マクアダムスというダブルアサコならぬ“ダブル・レイチェル”のトップ女優コンビが今何かと話題の“LGBT映画”に殴り込み……というわけですから、これはもう2人のペペロンチーノより濃厚な“絡み”が気になってしまいまして(ほぼそれが理由だろ!!)観てみたんですけども、これがまたまた日本ではあまり馴染みのない“ユダヤ教徒”のしきたりや文化といった部分に触れ、さらには厳格なユダヤの教えを描きつつも「THE多様性の時代カモンベイベー映画」としてしっかりとそこは現代の流れを沿うように成立させているような、そんな映画だったんですねー。



レイチェル・W演じるロニートはNYで働く写真家で結婚もせずバーで知り合った男でその場でヤッちゃう日産するような“自由奔放”な“大人な女性”に見えるが、彼女はイギリスの敬虔(深く敬って態度をつつしむさま。特に神仏につつしんで仕えるさま。)なユダヤ教徒の生まれで幼少期は厳格なユダヤの仕来りの中で育った過去を持つ。そんなロニートにある日届いた訃報、ユダヤ教の最高責任者的全てを司るローマ法王的神ポジにいた父親が病気で亡くなったのだ。ロニートはユダヤ教の生活様式や価値観が合わず故郷を捨てNYにやってきたのに、父親の死によりまた故郷に戻らざるを得なくなった。渋々数年ぶりに帰郷したロニート。そこで待っていたのは「ジュラシックパーク3」でプテラノドンに突かれてユダヤ教に改心したアレッサンドロ・ニヴォラ演じる幼馴染のドヴィッドとレイチェル・M演じるエスティだった。「おいドヴィッド!!(ベネットみたいに言うな)渋ってないで早く奥さん紹介しなさいよおおおお!!」ロニートの問いかけに終始黙り込むドヴィッドとエスティ。おい、まさかアンタら……





























うそだあああああああああああああああああああああああ










ドヴィッドのご好意で父の葬式までの間ドヴィッドとエスティの愛の巣に泊まることになってしまったロニート。ロニートは気が気でなかった。そしてそれはエスティも同じ。そう2人は“元恋人”同士だったのだ………。



いやー私ユダヤ教の知識なんぞ黒い帽子に黒いスーツ、メガネかけてヒゲ生やしてるくらいにしかホントにこれっぽっちも知らなかったわけなんですけども今作ではそのユダヤ教の、しかもその中でもかなり“厳格”な方のユダヤ文化が描かれている貴重な作品の一つと言ってもいいかもしれません





















既婚者の女性はカツラを被らなければならない








はじめて知りましたよ。てっきりレイチェル・マクアダムスが別の映画でフィリオサ並に丸坊主にしたのかと思っておりました、へーって感じですよね。イスラム教とかはね、女性は顔を隠すとかは知ってますけどユダヤ教もそこまで厳しい所は厳しいのか、嫁にトツギーノさんは大変だぁ…。ほかにも日本人にはほぼ初めてづくしと言ってもいいかもしれないユダヤの伝統が次から次へと体験出来てしまうんですねー。…まぁそれがいいかどうかはまた別の話ですが



と言うのも、言ってしまえばそのユダヤの教えによりロニートとエスティの長らく“叶わなかった恋”が再び再熱してしまうんですよね。もっとぶっちゃけりゃあこの2人にとってその教えそのものが“邪魔”でしかないんですよ。ここからは無神論者の個人的バカ意見なのでバカの意見だと思って聞いてください























宗教ってマジで邪魔だわ〜









私はLGBT「だからなんだ」って人間ですがもう観ていてイライラしてくるんですよね、ロニートとエスティがこんなに惹かれ合っているのに?これぞまごうことなき“純粋な愛”ですよ!?今時純粋な相思相愛カップルがどれだけいると思っているんですか!?(いやいるだろ)それがしきたりがなんだコミュニティがなんだ一番腹立ったのは2人が外でイチャついている所をエスティの職場にチクった野郎ですよ!!はぁ!?別にいいじゃねえかよ!!イチャついて何が悪いんですかフ◯ーーーーーーーーーック!!!!…あくまで個人的な意見です。しかしエスティは生まれてからずっとユダヤ教の中で生きてきた女性、つまり彼女には生まれてからずっと























自由がなかった。









そこへ自由人のロニートがポーンとやってきちゃうもんだからですね、まぁ対称的な2人、お互い価値観も違うし生き方も違う、だけども誰よりも強い絆で結ばれてんだから!!そーでしょう?ドヴィッド……ておーいドヴィッt



原作はナオミ・アルダーマンという方の書いた自伝……つまりホントにこんな話があったってことですか、まぁ宗教絡みの恋はなかなか難しいですよね…恋の弊害を乗り越えるべきか、それともその宗教内に留まり自制を効かせながら恋をするか……










【感想(ネタバレ)】








まあドヴィッドもドヴィッドもご愁傷様〜て感じの、ラストは三人肩組んで「それぞれの道へ」って話ですか?あの三人抱き合うシーンは序盤でしきたりからロニートのハグを拒むシーンの対比と言うか、なかなかグッとくるシーンでしたね。そのドヴィッドが犬井ひろし並みに「自由だああああああああああああ!!!!」と叫ぶ斜め上過ぎるクライマックス、ロニートの父親が死ぬ前に最後に説いた偶然か否か「選択肢の自由」というコトバをドヴィッドは受け入れ妻であるエスティに今までなかった「選択の自由」を泣く泣く与えることに……いやあんたぁ立派な男だよ!!なかなか出来ないよその選択は〜!まあ結果的にエスティは離婚という選択をしてしまったのがガッデム!!



最後何故エスティはロニートの「NYで一緒に暮らさない?」を断ったのでしょうか。ドヴィッドとの離婚は生まれてくる子供にかつての自分と同じようにユダヤの教えにがんじがらめにされる人生を送らせたくない、というものでしたがロニートの場合は……



そこではやり思いつくのは教えから「抜け切れていない」というエスティの、そう簡単にコミュニティから脱出出来ないんだ、という意味にも聞こえてしまうというか。ロニートとエスティの「選択」は果たして正解だったのだろうか、それは誰にもわかりません…。










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